東京23区の坂の散策を始めるきっかけとなったのは、東京都北区にある大坂です。 当時の習い事の教室が埼玉県川口市だったので、JR赤羽駅から京浜東北線でJR川口駅まで通っていました。 自宅のある板橋区小豆沢(あずさわ)からJR赤羽駅までは国際興業バスを使う方法も勿論あるのですが、健康と経費削減のため往復徒歩で通っておりました。(片道30分弱) 歩けば色々な景色が見えてきます。 そんな中出逢ったのが「 大坂 」です。 赤羽台の団地からJR赤羽駅に降りる坂がこの大坂でした。 坂下には立派な北区教育委員会が設置した標識が立っていました。 余談ですが当時は坂下にモスバーガーのお店がありました。(2009年当時のストリートビュー) 坂一つにも名前が付けられていて、その由来も書かれている・・今までも、東京は坂の多い街だということは薄々気づいてはいましたが、この標識と出会ったおかげで俄然本気で調べてみよう、歩いてみようと思い立ったのです。 2012年に会社を退職するのを機に東京を離れる決心はついていましたので、残り5年間で歩けるだけ歩いてみようと決めたそんな坂との出会いでした。 坂の位置はGoogle mapに表示されるようにしておりますが、詳細番地を入力しても区域の中心を示してしまい、坂の位置とは異なってきます。ご了承くださいませ。詳細の場所については、各区の散策ルートにある坂の場所をクリックしてご覧ください♪ Google mapのストリートビューでは昔のビューを見ることができます。(私が見たのは2009年当時のビューです。当時の様子を見ることができてとても便利な機能だと思います) 2022年3月14日で旧のブログからの移行を完了しました。移行する中で残念だったことは、練馬区および杉並区をほぼ歩いていないことでした。東京を離れた今となっては訪問は難しく、他の方のブログを拝見することで歩いた気分に浸るのがせめてもの方法となりました。 坂の坂上と坂下の把握についてはおおよそ個人的な見解が入り、お叱りを受けることもあるかと思いますが、個人が作成した程度のブログであるとご容赦下さいませ。
地形から見た坂の位置 板橋区の地形は、高台( 武蔵野台地 )と、荒川沿いの低地( 氾濫低地 )に大別される。おおむね首都高速5号線より北部が低地、南部が高台となっているのがわかります。また、川が走る流域(南部の石神井川,北部の前谷津川や出井川など)には 谷底低地 が形成され、これら低地は、樹枝状に形成しています。(ジオテックHPよりの引用) 武蔵野台地と荒川低地の境をなす崖線が、小豆沢(あずさわ) - 志村(しむら) - 中台(なかだい) - 西台(にしだい) - 赤塚(あかつか)にかけて区の中央部をほぼ東西に貫き、付近は高低差に富み、坂道が多く作られている。前野町・中台・西台地区では、若木通りを尾根筋とする形で、すりばち状の谷戸(やと)地形が見られ、かつては、各所で 地下水 が湧き出ており、薬師の泉(小豆沢 3 丁目)、出井の泉跡(泉町)などにその名残が見られる。また、見次公園(前野町 4 丁目)の池は、自然の湧水によって形成されたものとのことです。地名からも崖であったことが伺えます。例えば小豆沢についてみると、 「あず」とは「がけなどの崩れたところ」。小豆沢は 江戸時代 には豊島郡峡田(はげた)領で、この「はげ」も「はけ」「かけ」「ほけ」などと同様に崖を意味するとあります。峡の坂や赤バッケ坂なども崖由来の名前だと思われます。 高台と氾濫低地を結ぶ坂 魚籃坂(小豆沢) 志村坂(志村) 清水坂(旧中山道 志村) とりげつ坂(西台) 川(石神井川)の流域の谷底低地へと走る坂 暗闇坂(南常盤台) 長命寺坂(南常盤台) 《参考にさせて頂いた文献(団体名等)》 ・ ジオテック株式会社 ・国土交通省 国土地理院 ・ 板橋区