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9月, 2021の投稿を表示しています

★北区の坂道散策Ⅳ★

   今回の坂道散策ルート (名前のある坂名のみ記載) <自宅>  ➡   ●赤羽西4丁目  庚申坂  ➡  法安寺坂  ➡  市場坂  ➡  蛇坂   ➡ ●赤羽西3丁目  野間坂  ➡  ●十条仲原4丁目  遊鯉園の坂  ➡ ●中十条4丁目  清水坂  ➡ ●赤羽西3丁目  鳳生寺坂  ➡ ●赤羽西2丁目  真正寺坂  ➡ ●赤羽西1丁目  中坂  ➡ ● 赤羽西2丁目  三日月坂  ➡ ● 赤羽西4丁目  弁天坂  ➡  ●赤羽台1丁目  弁天池の坂   ➡ < 自宅>   十条仲原4丁目 北区立清水坂公園 ★北区の坂の位置は こちら で見ることができます★ (2008年8月15日  自身の 他ブログ 投稿済の 記事を 修正・再掲)

★北区の坂道散策Ⅲ★

   今日の坂道散策ルート (名前のある坂名のみ記載) <自宅>  ➡  ●赤羽北2丁目  殿山の坂  ➡ ●赤羽北3丁目  念仏坂  ➡  八幡坂   ●赤羽台4丁目  師団坂  ➡  宮の坂  ➡  宮の前の坂 ➡  ★板橋区の坂道散策Ⅰ★  ➡ ●赤羽台1丁目  うつり坂   ➡  ★板橋区の坂道散策Ⅰ★ 赤羽北3丁目 諏訪神社 ★北区の坂の位置は こちら で見ることができます★ (2007年5月20日  自身の 他ブログ 投稿済の 記事を 修正・再掲)

★北区の坂道散策Ⅱ★

  今回の坂道散策ルート (名前のある坂名のみ記載) <自宅>  ➡   ●西ヶ原1丁目  大炊介坂 ➡ < 自宅>   自宅から西が丘を抜け飛鳥山公園のたもとへ。旧古河庭園の横にある大炊介坂を通り、駒込にある胡椒せんべいを置いてあるせんべい屋さんに行った時のルートです。     西が丘国立スポーツ科学センター 西ヶ原2丁目 一里塚   ★北区の坂の位置は こちら で見ることができます★ (2007年4月29日  自身の 他ブログ 投稿済の 記事を 修正・再掲)

★北区の坂道散策Ⅰ★

   今回の坂道散策ルート (名前のある坂名のみ記載) <自宅>  ➡   ●赤羽台1丁目  大坂 ➡ < 自宅>   坂道の散策のきっかけとなった大坂を標識共々じっくり見るために訪問しました。       ★北区の坂の位置は こちら で見ることができます★ (2007年4月22日  自身の 他ブログ 投稿済の 記事を 修正・再掲)

北区の坂 雑感

地形から見た坂の位置 北区は、 武蔵野台地 の北縁部に位置しています。新河岸川の北側にある浮間地区を除き、京浜東北線に沿って西側には台地が広がっています。これら台地には、石神井川や水路などによって削られて形成された谷地が複雑に分布しています。また、この台地部分を囲むように、京浜東北線の東側と浮間地区には荒川・隅田川・新河岸川などの氾濫と蛇行により生じた広大な 氾濫低地 が分布しています。(ジオテックHPよりの引用) 坂はJR京浜東北線を坂下として西に上る坂が多く見られます。北側の新河岸川に向かって下る坂も多く武蔵野台地の端であることが良くわかります。 田端から王子にかけては武蔵野台地の中の谷地に向かって下る坂も多く見られます。 新河岸川に下向かって下る坂は隣の板橋区にも多く見られます。区境にある「念仏坂」「ふか坂」また「宮の坂」も北へ向って下る坂です。 宮の坂 念仏坂 ふか坂 JR京浜東北線側に向かって下る坂も多く、王子には[王子稲荷の坂」「三平坂」、十条には「地蔵坂」があります。 王子稲荷の坂 三平坂 地蔵坂 また、田端から王子付近の谷地に流れ込む坂としては「幽霊坂」「東覚寺坂」「八幡坂」などがあります。 幽霊坂 東覚寺坂 八幡坂 《参考にさせて頂いた文献(団体名等)》 ・ ジオテック株式会社 ・国土交通省 国土地理院   ・北区( 飛鳥山博物館 )

無名坂(西ヶ原3丁目の坂Ⅱ)

  場所:東京都北区西ヶ原3丁目 坂上が曹洞宗昌林寺です。西ヶ原3丁目14番地と11番地の間の坂です。結構きつい勾配のある短い坂です。( 11% :5m/47m)昌林寺は 江戸六阿弥陀の木残阿弥陀として巡礼の対象となった寺です。(木残の昌林寺と木余の性翁寺(足立区扇)を含めて八阿弥陀)  江戸六阿弥陀は、行基菩薩が一夜の内に一本の木から六体の阿弥陀仏を刻み上げた阿弥陀仏だといい、阿弥陀仏作成を依頼した長者が六ヶ所に寺を建立、六体の阿弥陀仏を一体ずつ安置したと言われています。六阿弥陀と称していますが、木余り・木残りの2仏を加えた8阿弥陀を巡礼、江戸時代中期から大流行した巡礼です。ちなみに1番西福寺(北区豊島)、2番恵明寺(足立区江北)、3番無量寺(北区西ヶ原)、4番与楽寺(北区田端)5番常楽院(旧下谷広小路)、6番常光院(江東区亀戸)とのことです。 《撮影日:2008年11月2日》

下瀬(しもせ)坂

  場所:東京都北区西ヶ原4丁目 【標識(北区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:施設(軍隊等)] 国立東京外国語大学の南側に沿って上る坂。坂名は、明治時 代に現在の大学の位置に設けられてた「海軍下瀬火薬製造所」に由来する。ここには、江戸時代に幕府の薬園があった。 現在のグラウンドは、昔の池で、谷田川の水源となっていた。 西ヶ原4丁目51番地の南側に位置し、東から北西に上る坂です。坂の北側には北区立西ヶ原みんなの公園が広がります。緩やかな勾配の坂です。(5%:6m/120m) 《撮影日:2008年10月9日》

新熊野(しんくまの)坂

  場所:東京都北区西ヶ原3丁目 【標識なし】[由来分類:設置時期] 新しくできた坂のため東側を走る 熊野坂 に”新”が付けられたのであろうと考えます。 この坂はゲーテの小径を走る坂で、緩やかな勾配の坂です。(5%:5m/110m) 《撮影日:2009年7月4日》 <寄り道で見つけた>👀📸 東京ゲーテ記念館 当館は、ドイツの詩人ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe) についての資料や情報を提供する非営利の資料館です。(東京ゲーテ記念館HPより引用) ゲーテの小径には新熊野坂が含まれる 1989年、北区役所道路課から、「小径」プロジェクト(特徴ある通りの環境を整備し、名称を付けする)の一環として、当館のまえの通りを「ゲーテの小径」と名づけ、向かい側の空き地(当時東京都が所有)にポケットパークを造りたいので協力してほしいという相談があった。 早速、当館は、ゲーテが半生を過ごしたヴァイマル(ワイマール)の通りの写真などを提供し、助言をした。「ゲーテパーク」のレリーフや年表の資料も当館が提供した。 (東京ゲーテ記念館HPより引用)

熊野(くまの)坂

  場所:東京都北区西ヶ原3丁目 【標識(北区教育委員会設置)の説明】    [由来分類:施設(神社仏閣):熊野神社]     この坂は、谷田川通りから西ヶ原3-30の不動院墓地までの坂で、名称は昔、不動院境内にあった熊野神社に由来します。江戸時代の地図によれば、当時の不動院の境内はこの坂に面していて、その北の隅に宝永(1704~11)年間にまつられたという熊野神社が描かれています。つきあたりの道は鎌倉道といわれ、本郷台地から推定豊島郡衙跡に至るので鎌倉時代以前の道とも考えられます。 西ヶ原3丁目30,31番地と23番地の間を南から北へ上る坂です。少しきつい勾配があります。( 6% :5m/83m) 新熊野坂 ・ 無名坂(西ヶ原3丁目の坂Ⅰ) と並行に走っています。 《撮影日:2008年11月2日》 《撮影日:2009年7月4日》

無名坂(西ヶ原3丁目の坂Ⅰ)

  場所:東京都北区西ヶ原3丁目 新熊野坂 の西側を南から北へ上る坂です。坂上は左に屈曲して行き止まりとなっています。西ヶ原3丁目32番地にある坂です。短くて結構きつい勾配のある坂です。( 11% :6m/53m) 《撮影日:2008年11月2日》

六石(ろっこく)坂

  場所:東京都北区西ヶ原2丁目 【標識(東京都設置)の説明】 [由来分類:抽象的な数字] 東京府村誌に「長さ二十四間広さ三間元と坂上に租六石を納る水田あり故に云ふ」とある。江戸切絵図には「 六コク坂 」と記されている。この道は岩槻街道(旧日光御成道)で、飛鳥山の前へと続いているため花見時などには賑わいをみせた。付近にはこの辺りに鷹狩などに来た将軍の休み場としての御立場もあった。 飛鳥山公園の南を走る本郷通りの坂です。 大炒介 坂同様に都道を走る坂なので都が設置した石製の標識が建っています。緩やかな大きな坂です。(4%:6m/170m) 《撮影日:2009年7月4日》 <寄り道で見つけた>👀📸 渋沢史料館            北区飛鳥山公園

無名坂(無量寺横の坂)【西ヶ原1丁目】

  場所:東京都北区西ヶ原1丁目 西ヶ原1丁目34番地にある真言宗豊山派の無量寺の西側を南から北へ上る坂です。坂上は東京消防庁滝野川消防署付近に出ます。緩やかな勾配の坂です。(3%:8m/300m) 《撮影日:2008年10月9日》

大炊介(おおいのすけ)坂[宮坂][暗闇坂]

  場所:東京都北区西ヶ原1丁目 【標識(東京都設置)の説明】 [由来分類:人名(保坂大炊介)]   坂の名は、この辺りに住んでいた中世の武将保坂大炊介にちなんで 大炊介坂 と呼ばれているが、坂の上の平塚神社にちなんで 宮坂 とも、樹木に覆われていたので 暗闇坂 とも呼ばれていた。この道は岩槻街道で、江戸時代には将軍の日光東照宮社参の行列が通ったため日光御成道と呼ばれたが、現在は本郷通りと呼ばれている。この辺りに江戸時代には牡丹園が設けられたこともあった。 旧古河庭園の東側を南から北へ上る坂です。緩やかな勾配の大きな坂です。(4%:8m/220m)本郷通りに都設置の立派な標識が建っています。

水車(すいしゃ)の坂

場所:東京都北区西が丘2丁目 【標識(北区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:施設(水車小屋)]   現在は石段(北区西が丘2-27-12地先)となっていますが、昔はこの下に水車小屋があり、近くの農家が利用していました。水車に荷を運んできた馬が坂の途中から落ちて死んだこともあり、お稲荷さんと馬頭尊とが並んで立っていました。現在は稲付川も暗渠となってしまい、水車もありませんが、石段は西が丘から十条銀座を通って十条駅へ向かう通勤の人でにぎわっています。 赤羽西3丁目と西が丘2丁目の境にある坂です。高低差が大きいためかほとんどが階段の坂となっています。 《撮影日:2008年10月9日》

無名坂(清水坂横の坂Ⅰ)【中十条4丁目】

  場所:東京都北区中十条4丁目 北区立八幡児童遊園の南側にある階段の坂です。中十条4丁目13番地と15番地の間にあり、 清水坂 を坂下に西へ上る坂です。 《撮影日:2008年8月15日》

清水(しみず)坂【中十条4丁目】

  場所:東京都北区中十条4丁目 【標識(東京都設置)の説明】 [由来分類:自然現象(清水)]   十条の台地から稲付の低地に下る岩槻街道(旧日光御成道)の坂である。昔はけわしく長い坂道だったので 十条の長坂 などとも呼ばれた。切り通しの崖からはたえず清水が湧き出ていたので、 清 水坂 の名が付けられた。現在は崖が削りとられて、その跡に児童公園が設けられているが、そこは貝塚遺跡でもあった。 環七通りの北区中十条三丁目交差点を坂上にして岩槻街道を北へ下る坂です。緩やかな勾配の坂です。(3%:9m/280m)坂上では環七通りを走る 馬坂 と出会い、坂下は 無名坂(清水坂公園前の坂) の坂下と出会います。また坂の途中は、 無名坂(清水坂横の坂Ⅱ) 、 無名坂(清水坂横の坂Ⅲ) の坂下となっております。 《撮影日:2008年8月15日》

無名坂(清水坂横の坂Ⅲ)【中十条4丁目】

  場所:東京都北区中十条4丁目 岩槻街道から分岐して西へ上る坂です。中十条4丁目6番地と10番地の間にあり、緩やかな勾配の坂です。(4%:3m/75m)坂下では北に上がる 無名坂(清水坂横の坂Ⅱ) と出会います。 《撮影日:2008年8月15日》

無名坂(清水坂横の坂Ⅱ)【中十条4丁目】

  場所:東京都北区中十条4丁目 岩槻街道から分岐して北へ上る坂です。中十条4丁目13番地と10番地の間にあり、坂上は北区立八幡山児童遊園になっています。緩やかな勾配の坂です。(5%:2m/40m)坂下では西に上がる 無名坂(清水坂横の坂Ⅲ) に出会います。 《撮影日:2008年8月15日》

石神井(しゃくじい)坂

 場所:東京都北区中十条3丁目 【標識なし】 [由来分類:所在位置(田へ)] 北区HP(飛鳥山博物館)によると 旧石神井坂 は、東十条駅北口の崖に沿って南から東に下る坂で、昔は台地から耕地への通路であった。 新石神井坂 は、東十条駅の北口通路として設けたもので、中央部は跨線橋であり、その両端に階段が設けられており、橋の中央部に北口がある。 とあります。 HP掲載の写真は階段坂ですので、説明文によるところの新石神井坂なのではと推察されます。上の写真二枚は旧石神井坂ということになります。この坂は大きくカーブしながら上って行く坂で少しきつい勾配があります。( 9% :6m/69m) 《撮影日:2009年10月9日》

地蔵(じぞう)坂 【中十条2丁目】

  場所:東京都北区中十条2丁目 【標識(北区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:施設( 神社仏閣:地蔵堂)]   地蔵坂 は、この坂の上の三叉路で合流し、ここを通って下る坂道です。現在の中十条2-11-1地先付近までが崖で、坂道は崖の手前の地蔵堂から続いていましたので 地蔵坂 と呼ばれていました。現在の地蔵堂は、東十条駅の開設にともなう跨線橋の設置や道路の拡幅により今の位置に移転したものです。 JR京浜東北線の東十条駅南口から出て子育て地蔵尊の南にあります。くねりながら南へ上る結構きつい坂です。( 14% :9m/65m)写真でもわかるように滑り止めが施されています。 《撮影日:2008年10月9日》