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ラベル(<H087>形状・地形(くねり))が付いた投稿を表示しています

蛇(へび)坂【赤羽西4丁目】

  場所:東京都北区赤羽西4丁目 【標識(北区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:形状・地形(くねり)]  この坂は蛇のようにくねっているところから名がついた。 蛇坂 とその西にある 市場坂 の谷を北谷といった。谷の奥にわき水があり, 釣堀があった。夏の夕暮れどきこの谷をうめつくす程ヤンマが飛び交い, この坂でとんぼ採りをする子供達でにぎわったという。 市場坂 の東側を北から南へ上る坂です。赤羽西4丁目30番地と38番地の間に坂下があり、上の写真でもわかりますが名前の通りくねりながら上って行きます。少しきつい勾配のある坂です。( 6% :13m/220m) 《撮影日:2008月15日》

へび坂

  場所:東京都世田谷区成城3丁目 【標識なし】 [由来分類: 不明 、動物、形状・地形(くねり) ]   区立明正小学校横の”成城3丁目緑地”の中を南東(世田谷通り側)に下る坂道です。 新しく整備されたようで、入り口には利用時間も掲示されていました。 坂の名前は、”成城3丁目緑地”の案内板の中に へび坂 の記載がしてありました。  結構きつい勾配のある坂です。( 13% :11m/88m) 《撮影日:2010年1月10日》 <寄り道で見つけた>👀📸 成城3丁目緑地 案内板の中にへび坂の名前がありました

蛇(へび)坂【南馬込1丁目】

  場所:東京都大田区南馬込1丁目 【標識(大田区設置)の説明】 [由来分類:形状・地形(くねり) or 動物(蛇)] 蛇のように曲っていることからこの名がついたという。 また、昔は坂のあたりに蛇がいたことによるともいわれる。 環七通りと東海道新幹線が交差する南側に位置する坂です。 北からくねりながら南へ上って行きます。 結構きつい勾配のある坂です。( 11% :9m/83m) 坂下は 無名坂(南馬込1丁目の坂Ⅱ) と同じです。 《撮影日:2009年9月20日》

無名坂(東雪谷5丁目の坂Ⅱ)

場所:東京都大田区東雪谷5丁目 無名坂(東雪谷3丁目の坂Ⅱ) と坂下が同じになります。 この坂は一旦南東に上って曲がり、更に東に上る坂です。 東雪谷5丁目26番地と22,27番地の間の坂です。 少しきつい勾配のある坂です。( 9% :12m/130m) 《撮影日:2009年9月20日》

三折(みおり)坂[御降坂]

場所:東京都目黒区下目黒4丁目 【標識(目黒区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:形状 or 使用用途]   三つに折れ曲がった形状から 三折坂 とよばれるようになった。また、目黒不動への参詣者が、この坂を降りていくので「 御降坂 」とよんだといわれる。 目黒不動尊の西側を走る坂です。 坂は南から北へ上ります。 写真でもわかるように滑り止めが施された結構きつい坂です。( 11% :10m/90m) 《撮影日:2010年1月3日》

犬(いぬ)坂[へびだんだん]

場所:東京都品川区東大井3丁目 【標識(品川区教育委員会設置)の説明 】 [由来分類:形状・地形(くねり)] この坂は、階段が造られるなど舗装整備されているが、曲がりくねった坂道であった。 犬坂 の由来は不明であるが、俗称の“ へびだんだん ”は、その曲がりくねった有り様からそう呼ばれている。 東大井元芝公園の横に位置する坂です。 少しきつい勾配のある坂で、階段併用の部分もあります。( 9% :4m/44m) 《撮影日:2009年5月31日》

清水(しみず)坂[暗闇坂]【池之端4丁目】

場所:東京都台東区池之端4丁目 【標識(台東区教育委員会設置)】[由来分類:形状・地形(湧き水)] 坂近くに、弘法大師にちなむ清泉が湧いていたといわれ、坂名はそれに由来したらしい。坂上にあった寛永寺の門を清水門と呼び、この付近を清水谷と称していた。かつては樹木繁茂し昼でも暗く、別名 「暗闇坂」 ともいう。 都立上野高等学校の西側を北から南に下る坂です。 坂下は上野公園になります。 緩やかな勾配の坂ですが、大きく曲がってくねりのある坂です。(3%:6m/230m) 《撮影日:2008年10月9日》 <坂の途中で>👀📸 森鴎外旧居跡

七曲(ななまがり)坂

場所:東京都新宿区下落合2丁目 【標識(新宿区教育委員会設置)の説明】   [由来分類:形状・地形(くねり)]    『豊多摩郡誌』には「 七囲(めぐ)り坂  馬場下通 御禁止山の麓にあり、大字下落合字丸山と同本村の中間にあり。曲折七ヶ所より成れる坂道にして昔より本名称を得たるが、明治37年開窄して交通に使せり」とある。落合では最も古い坂道の一つで『若葉の梢』に「頼朝公和田山に御出陣の時、軍勢をはかり給わんとて、七まがり坂を開かせ給へりと也。上は鼠山、西は玉川と猪の頭の落合に行き柏木えもん桜へも近し」とある。 相馬坂 の西側に位置する坂で、北から南へ下る坂です。 下りながら一旦東へくねり、また西へくねりながら下っています。 今は整備されたのでしょうから七曲とはなっていないようです。 勾配の少しきつい坂です。( 7% :13m/200m) 《撮影日:2009年1月11日》

鰻(うなぎ)坂

場所:東京都新宿区市谷砂土原町3丁目 【標識(新宿区教育委員会設置)の説明】  [由来分類:形状・地形(くねり)]   坂が曲がりくねっているから鰻のような坂だという意味で 鰻坂 とよばれた。「御府内備考」の払方西文政丁亥書上に「里俗 鰻坂 と唱候、坂道入曲り登り云々」と記されている。   牛込払方町教会の南側をくねりながら走る細い坂です。 牛込中央通りを挟んで反対側にも坂上らしき場所があります。 これも含めて 鰻坂 かもしれません。 少しきつい勾配のある坂です。( 7% :5m/73m) 《撮影日:2008年11月23日》

薬研(やげん)坂[何左衛門坂]

青山通り川の坂上から中央坂下を見た TBS側坂上から中央坂下を見た  真ん中を中心に窪んでいる様子がよくわかります 場所:東京都港区赤坂7丁目 【標識(港区設置)の説明】 [由来分類:形状・地形(たとえ or くねり:薬研)]   中央がくぼみ両側の高い形が薬を砕く薬研に似ているために名づけられた。付近住民の名で 何左衛門坂 とも呼んだ。 中央がくぼみ、両端が高くなっている長い坂で、この形が、薬種(薬の材料)を砕く器具の薬研に似ているのでこう呼ばれています。この坂は2.26事件に近衛第三連隊(現TBS・赤坂パークビルジング)の兵士が時の大蔵大臣高橋是清殺害のために向かった道でもあります。(港区HPより引用) 当時は工事中だったためか、視界が却ってよく中央のくぼみがよくわかる写真が撮れました。 勾配は少しきつめでした。( 7% :6m/85m) 《撮影日:2009年3月28日》 <坂の途中で>👀📸 赤坂ガーデンシティの横を下る薬研坂 勾配がわかる写真かなと思います 赤坂コミュニティプラザ

鍋割(なべわり)坂【隼町】

場所:東京都千代田区隼町 【標識なし】 [由来分類:形状]   隼町の国立劇場の北側を「内堀通り」から西に上り、ほぼ半ばからまた西に下る坂です。『御府内沿革図書』の図では、延宝元年の図には明示されていません。天保6年(1835)~文久元年(1861)の各図には、堀側から平河天満宮のわきに向かって一直線に通じています。その後、町筋の変動によって現在のようになったと考えられます。坂の名の由来は、鍋を伏せたような台地につくられた切り通しなので、この名が起こったといわれています。(千代田区HPより引用) 千鳥ヶ淵緑道を内堀通りに抜ける坂です。 勾配が緩やかなので、はっきりと鍋を伏せた様子を写真でお伝えすることは出来ません。(1%:1m/160m) 《撮影日:2010年1月10日》

鍋割(なべわり)坂【九段南2丁目】

場所:東京都千代田区九段南2丁目 【標識(千代田区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:形状・地形(くねり)] この坂を 鍋割坂 といいいます。「新撰東京名所図会」には「堀端より元新道一番町の通りへ上る坂なり。」とかかれています。同じ名称の坂は各地にありますが、どれもふせた鍋(台地)を割ったような坂であることからその名がつけられています。千代田区隼町の国立劇場北側のところにも同じ名の坂があります。 千鳥ケ淵ガーデンロードに面しているフェアーモントホテルの南側を内堀通りに抜ける坂道です。坂の名の由来は「隼町の鍋割坂」と同様に、鍋を伏せたような台地につくられた切り通しから、この名が起こったといわれています。(千代田区HPより引用) 写真の中奥・坂の中央部分が高くなっているから(鍋を伏せた?ようだから)この名前が付いたのでしょうか。 勾配は緩やかです。(4%:4m/91m) 《撮影日:2008年12月28日》