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2月, 2020の投稿を表示しています

蛇(へび)坂【三田4丁目】

場所:東京都港区三田4丁目 【標識(港区設置)の説明】   [由来分類:動物(蛇)]   付近の藪から蛇が出ることがあったためと想像されている。 桜田通りを坂下として 東へ上る 坂です。 そのまま進むと、 北へ下る 安全寺坂 、東へ下る 潮見坂 と出会います。 この坂は少しきつい勾配があります。( 7% :5m/73m) 《撮影日:2009年2月7日》

聖(ひじり)坂[竹芝の坂]

場所:東京都港区三田4丁目 【標識(港区設置)の説明】   [由来分類:施設(宿所)]   古代中世の通行路で商人を兼ねた高野山の僧(高野聖)が開き、その宿所であったためという。 竹芝の坂 と呼んだという説もある。 港区立三田中学校&クウェート大使館の東側を 北東に上る 坂です。 少しきつい勾配があります。( 6% :14m/240m) 《撮影日:2009年2月7日》

魚籃(ぎょらん)坂

場所:東京都港区三田4丁目 【標識(港区設置)の説明】 [由来分類:施設(神社仏閣:魚藍寺)] 坂の中腹に魚籃観音を安置した寺があるため名づけられた。  伊皿子坂 と坂上がほぼ同じ位置(二本榎通り伊皿子交差点)にあり、そこから北へ 魚籃坂 ・南へ 伊皿子坂 が下っていきます。 勾配の緩やかな坂です。(5%:15m/300m) <坂の途中で>👀📸 坂の中ほどにある魚籃寺

伊皿子(いさらご)坂

  場所:東京都港区三田3丁目 【標識(港区設置)の説明】 [由来分類:人名]   明国人伊皿子(いんべいす)が住んでいたと伝えるが、ほかに大仏(おさらぎ)のなまりとも、いいさらふ(意味不明)の変化ともいう。 魚籃坂 と坂上がほぼ同じ位置(二本榎通り伊皿子交差点)にあり、そこから北へ 魚籃坂 が南へ 伊皿子坂 が下っていきます。 少し勾配のきつい坂です。( 6% :7m/120m) 《撮影日:2009年3月20日》 <坂の途中で>👀📸 坂上にある 歯科医学教育発祥之地の碑

潮見(しおみ)坂【三田3丁目】

場所:東京都港区三田3丁目 【標識(港区設置)の説明】   [由来分類:眺望・景観(海)]   坂上から芝浦の海辺一帯を見渡し、潮の干満を知ることができたためこの名がつけられた。 阿含宗関東別院の北側を西から東に下る坂です。 坂を直線で辿るとレインボーブリッジにあたります。 潮見坂 という名前の通り海が一望できたというのも頷けます。 狭い坂で少しきつい勾配があります。( 7% :5m/73m) 《撮影日:2009年2月7日》

安全寺(あんぜんじ)坂[安珍坂][安楽寺坂][安泉寺坂]

場所:東京都港区三田3丁目 【標識(港区設置)の説明】   [ 由来分類:施設(神社仏閣:安全寺)] 坂の西に江戸時代はじめ安全寺があった。誤って 安珍坂 、 安楽寺坂 、 安泉寺坂 などとも書かれたことがあった。  今は 大松寺、榮松山長運寺の横を 下って 桜田通りに向かう(北へ向かう)坂です。 潮見坂 や 蛇坂 ともつながっています。 少しきつい勾配があります。( 8% :7m/86m)  《撮影日:2009年2月9日》

綱(つな)坂

場所:東京都港区三田2丁目 【標識(港区設置)の説明 】   [由来分類:人名(渡辺綱)]   羅生門の鬼退治で有名な平安時代の武士渡辺綱(わたなべのつな)が付近に生まれたという伝説による。 ここでも渡辺綱にまつわる坂名が出てきました。 綱の手引坂 同様、武士としての渡辺綱の知名度の高さがよくわかります。 綱の手引坂 の坂上方面から 南へ下る 坂です。 少しきつい勾配があります。( 6% :6m/95m) 《撮影日:2009年2月7日》

日向(ひゅうが)坂[袖振坂][ひなた坂]

場所:東京都港区三田1丁目 【標識(港区設置)の説明】  [由来分類:施設(屋敷・邸宅:徳山藩毛利日向守)]   江戸時代前期、 南側に徳山藩毛利日向守の屋敷があった。 袖振坂ともいった。由来は不明である。誤って ひなた坂 とも呼んだ。 写真左手には、オーストラリア大使館があります。 この坂は麻布通りを坂下として、東に上っています。 坂上を 神明坂 、 綱の手引坂 と共有しています。 緩やかな勾配の坂です。(5%:9m/190m) アイドルグループの坂道シリーズでは”ひなた坂”があるので、「誤って日なた坂とも・・」、 それもありなんですね。 《撮影日:2009年2月7日》

綱の手引(つなのてびき)坂[姥坂][馬場坂]

場所:東京都港区三田1丁目 【標識(港区設置)の説明】   [ 由来分類:人名(渡辺綱)]   平安時代の勇士源頼光の四天王の一人渡辺綱にまつわる名称である。 姥坂(うばざか) とも呼んだが、 馬場坂 との説 もある。 綱の手引坂は、綱坂と同様に『渡辺綱(わたなべのつな)』にまつわる名称である。『渡辺綱』は、羅生門の鬼退治で有名な、平安時代の勇士源頼光の四天王の一人であり、付近に生まれたという伝説による 。 姥坂 とも呼んだが、 馬場坂 の説もある。旧武家屋敷の長屋が坂に面して建っている。 (港区産業振興課HPより引用) 日向坂 、 神明坂 と交差する場所から桜田通り側(三田1丁目交差点)へゆっくりと下る坂です。(5%:11m/240m) 2020年2月27日放送 NHKの「ネーミングバラエティ日本人のおなまえっ!」【健康長寿!山梨の御名前】で渡辺性が多いという由来は、渡辺綱の力にあやかったという話が出ていました。 《撮影日:2009年2月7日》

神明(しんめい)坂[馬場坂]【三田1丁目】

場所:東京都港区三田1丁目 【標識(港区設置)の説明】   [由来分類:施設(神社仏閣:天祖神社)]   天祖神社を元神明というところから 神明坂 と呼んだ。 馬場坂 という 説もあるが 綱の手引坂 との混同があるらしい。 東西に走る 日向坂 と 綱の手引坂 の真ん中から北に上る坂です。 坂の途中には坂名由来の元神明宮(天祖神社)があります。 勾配は緩やかな坂です。(5%:9m/190m) 《撮影日:2009年2月7日》

無名坂(桜田通り横の坂)【東麻布1丁目】

場所:東京都港区東麻布1丁目 桜田通りから東京タワー駐車場に繋がる坂で、少しきつい勾配があります。( 8% :11m/140m) 東麻布1丁目1番地と2番地の間を走る坂です。 写真奥に東京タワーが見えます。 《撮影日:2009年3月20日》

土器(かわらけ)坂

場所:東京都港区東麻布1丁目 【標識なし】  [由来分類:職業(土器職人)] この辺りに土器(かわらけ)職人が住んでいたので坂名となった。また、渡辺綱が、ここで買い求めた馬かわら毛で名馬だったからという説もある。(港区HPより引用) 実は、2009年2月7日(土)にもこのあたりを散歩していました。 その日は機動隊等の警戒が非常に厳しく、飯倉の交差点から外苑東通り入口にはバリケードが設置されていて、とても悠長に写真を撮る状態ではありませんでした。 交差点の側におられた警察の方に「北方領土の日」でロシア大使館側に右翼が入り込んで挑発しないように警戒をしているとのことでした。 今回がある意味写真撮影のリベンジの日と相成りました。 桜田通りを東麻布1丁目交差点から飯倉交差点にかけて緩やかに 上る 坂です。(3%:13m/400m) 《撮影日:2009年3月20日》

堀田(ほった)坂

場所:東京都港区西麻布4丁目 【標識(港区設置)の説明】 [由来分類:施設(屋敷・邸宅:堀田家)]   江戸時代には、大名堀田家の下屋敷に向かって登る坂になっていた。 外苑西通りの西側にある坂で、北には 御太刀坂 があり東には外苑西通りを挟んで 鉄砲坂 があります。 北東方向に少しきつい勾配を上っていきます。( 8% :8m/96m)  《撮影日:2009年4月19日》

牛(うし)坂【西麻布4丁目】

場所:東京都港区西麻布4丁目 【標識(港区設置)の説明】 [由来分類:伝説/言い伝え] 源経基や白金長者の伝説のある笄橋に続く古代の交通路で、牛車が往来したためと想像される。 外苑西通りから 西に上がる 坂です。 外苑西通りを挟んで反対側には 大横丁坂 があります。 少しきつい勾配のある坂です。( 6% :14m/230m) 《撮影日:2009年4月19日》 <坂の途中で>👀📸 外苑西通りから牛坂に入ることろにあった 「THE WALL」 という変わった建物です。 今もあるのかなぁ!

無名坂(西麻布3丁目の坂)

場所:東京都港区西麻布3丁目 外苑西通りの東側に位置する坂で、 大横丁坂 の北側に位置します。 西麻布3丁目17番地と24番地の間を走る坂です。 写真ではわかりにくいのですが、結構きつい勾配があります。( 10% :10m/100m) 《撮影日:2009年4月19日》

北条(ほうじょう)坂

  場所:東京都港区西麻布3丁目 【標識(港区設置)の説明】 [由来分類:施設(屋敷・邸宅)北条家)]  坂下近く南側に大名北条家の下屋敷があったためにこの名がついた。 鉄砲坂 からの続きのような坂で、東南に上る坂です。 坂上で 木下坂 の坂上と出会います。 勾配は緩やかな坂です。(3%:7m/210m) 《撮影日:2009年4月19日》

中(なか)坂【西麻布3丁目】

場所:東京都港区西麻布3丁目 【標識なし】 [由来分類:所在位置(中間)紺屋坂&北条坂)] 名前の通り 紺屋坂 と 北条坂 に挟まれて平行に走る坂です。 二つの坂同様に東側が坂上となっています。 写真で見てもわかるように結構きつい勾配があり滑り止めが施されています。( 13% :7m/53m) 《撮影日:2009年4月19日》

鉄砲(てっぽう)坂【西麻布3丁目】

場所:東京都港区西麻布3丁目 【標識なし】【由来:施設(学校・学問所)】 江戸時代、坂のがけ下に幕府の鉄砲練習場があったことからこの名がついた。(港区HPより引用) 外苑西通りから 東南方向へ上る 坂です。 坂上は 北条坂 の坂下となっていて繋がっているようにも見えます。 少しきつい勾配の坂です。( 7% :5m/70m) 《撮影日: 2 009年4月19日》

紺屋(こんや)坂[こうやざか][ごみ坂]

場所:東京都港区西麻布3丁目 【標識なし】 [由来分類:職業(紺屋)] こうやざか とも呼ぶ。この坂付近に紺屋(染物屋)があったのでこう呼んだ。また江戸時代、坂のがけ下がごみ捨て場だったことから ごみ坂 ともいった。(港区HPより引用) 中坂 と平行に走る坂です。  Google mapには 芥坂 と表記されていました。 天理教品川分教会の南を西から 東に上る 坂です。 少しきつい勾配のある坂です。( 8% :5m/61m) 《撮影日:2009年4月19日》

御太刀(みたち)坂

場所:東京都港区西麻布3丁目 【標識なし】【由来:不 明 】 牛坂 と 堀田坂 の間にある坂です。 港区のHPにも掲載はありませんでした。 西から 東に上る 坂ですが、少しきつい勾配のある坂です。( 8% :8m/100m) 《撮影日:2009年4月19日》

大横丁(おおよこちょう)坂[富士見坂]

場所:東京都港区西麻布3丁目 【標識なし】 [由来分類:旧地名] 江戸時代、この付近を俗に大横丁と呼んでいたことからこの名がついた。 富士見坂 とも呼ばれていた。(港区HPより引用) 外苑西通りから 東に上がる 坂です。 外苑西通りを挟んで反対側には 牛坂 があります。    右の写真の右手側に見えるのがルーマニア大使館です。 緩やかな勾配の坂です。(5%:6m/120m) 《撮影日: 2009年4月19日》

無名坂(笄坂横の坂)【西麻布4丁目】

場所:東京都港区西麻布4丁目 笄坂 の南側に位置する坂で、緩やかに上っていきます。 写真左側がベネズエラ大使館です。 西麻布4丁目12番地と15番地の間を走る坂です。 緩やかな勾配の坂です。(2%:2m/130m) 《撮影日: 2009年4月19日》