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9月, 2020の投稿を表示しています

無名坂(瀬田1丁目の階段坂)

  場所:東京都世田谷区瀬田1丁目 瀬田1丁目2番地と3番地の間にある坂です。 まむし坂 (駒沢通り)のすぐ西にあり、 無名坂(瀬田1丁目の坂Ⅰ) の南側となります。 《撮影日:2009年11月22日》

無名坂(瀬田1丁目の坂Ⅲ)

  場所:東京都世田谷区瀬田1丁目 瀬田1丁目30番地と瀬田2丁目32番地の間にある坂です。すぐ北には玉川高島屋ショッピングセンター(ガーデンアイランド)があります。少しきつい勾配の坂です。( 8% :5m/64m) 《撮影日:2009年11月22日》

無名坂(瀬田1丁目の坂Ⅰ)

  場所:東京都世田谷区瀬田1丁目 まむし坂 の中程(瀬田1丁目3,4番地と5,6番地の間)から西北方面に上る坂です。 結構きつい勾配のある坂です。( 11% :12m/110m) 《撮影日:2009年11月22日》

無名坂(瀬田1丁目の坂Ⅱ)

  場所:東京都世田谷区瀬田1丁目 St. Mary's International Schoolの北側(瀬田1丁目5,6番地と15,16番地の間)を東南から西北に走る坂です。 無名坂(瀬田1丁目の坂Ⅰ ) の北側に位置し、 まむし坂 の中程が坂下となっています。少しきつい勾配の坂です。( 9% :13m/150m) 《撮影日:2009年11月22日》

まむし坂【瀬田1丁目】

  場所:東京都世田谷区瀬田1丁目 【標識なし】 [由来分類: 不明   ] 厳密に坂下がどこかは不明ですが、私的には玉川バス停あたりの駒沢通りの交差点を坂下だとしました。 くねりながら丸子川を越え東急大井町線をくぐり、多摩美術大学上野毛キャンパスの北側あたりが坂上としました。 およそ500mにもおよぶ長い坂です。 うっそうとした多摩川沿いの開墾地にはまむしがいたのか、それともくねった形状がまむしに似ていてそう呼ばれたのか定かではありませんが。 瀬田4丁目にも同名の坂があります。 ゆるなかな勾配の長い坂です。(4%:22m/500m) 《撮影日:2009年11月22日》

行火(あんか)坂

  場所:東京都世田谷区瀬田1丁目 【標識なし】 [由来分類:形状・地形(勾配)]       『勾配が急なため、土地の人はこの坂を登るだけで身体が熱くなるので「 あんか坂 」と呼んでいました』(出典:忘却) 荷を満載した荷車で坂を下りるときは梶棒でブレーキをかけながら難儀して下りたようです。 行善寺坂 の中程から東南へ上る坂で、結構きつい勾配の坂です。( 12% :6m/52m) 《撮影日:2009年11月22日》

行善寺(ぎょうぜんじ)坂

 場所:東京都世田谷区瀬田1丁目 【標識】 [由来分類:施設(神社仏閣:行善寺)]   行善寺の東側を南から北へ上る坂です。 坂の中程に 行火坂 の坂下があります。 少しきつい勾配があります。( 7% :19m/280m) 《撮影日:2009年11月22日》 <坂の途中で>👀📸 せたがや百景の案内板 「瀬田の行善寺と行善寺坂」

へび坂

  場所:東京都世田谷区成城3丁目 【標識なし】 [由来分類: 不明 、動物、形状・地形(くねり) ]   区立明正小学校横の”成城3丁目緑地”の中を南東(世田谷通り側)に下る坂道です。 新しく整備されたようで、入り口には利用時間も掲示されていました。 坂の名前は、”成城3丁目緑地”の案内板の中に へび坂 の記載がしてありました。  結構きつい勾配のある坂です。( 13% :11m/88m) 《撮影日:2010年1月10日》 <寄り道で見つけた>👀📸 成城3丁目緑地 案内板の中にへび坂の名前がありました

なかんだの坂

  場所:東京都世田谷区成城3丁目 【標識なし】 [由来分類:不明]   なかんだの坂市民緑地(世田谷トラストまちづくり)の横を野川に向かって下る坂道です。 気になる名前の由来は不明です。 少しきつい勾配があります。( 9% :17m/190m) 《撮影日:2009年11月22日》 <坂の途中で>👀📸 なかんだの坂市民緑地

不動(ふどう)坂【成城4丁目】

  場所:東京都世田谷区成城4丁目 【標識なし】 [由来分類:施設(神社仏閣:喜多見不動堂)]   坂下にある喜多見不動堂が坂名の由来でしょう。 曲がりながら下って行く様は蛇のようでもあります。 結構きつい勾配のある坂です。( 13% :16m/120m) 《撮影日:2009年11月22日》 <坂の途中で>👀📸 坂名の由来となっている喜多見不動堂 小田急小田原線の上から 関東の富士見百景「富士の見える橋」

お茶屋(おちゃや)坂

  場所:東京都世田谷区成城3丁目 【標識なし】 [由来分類:施設(屋敷・邸宅:茶室)]   この坂は、世田谷通りから一本入った道から北に上がる坂道です。 坂は急で細い坂であり、途中まではそれでも広く感じたのですが、坂上に近づくと自転車と人がすれ違うのがやっとの細さになります。( 15% :18m/120m) お茶屋坂 と言う名前は、江戸時代にこの地域一帯を治めていた喜多見重勝という人物の茶室がここにあったことに由来するとのことです。 《撮影日:2009年11月22日》 《撮影日:2010年1月10日》

無名坂(成城1丁目の階段坂)

  場所:東京都世田谷区成城1丁目 区立砧中学校にある石段坂で、世田谷通りから北上する 病院坂 のすぐ東側にあります。   上の写真2枚は同じ坂ではなく、左の写真の坂の東横にあるのが右に白線が入った坂です。 《撮影日:2009年11月22日》

病院(びょういん)坂

  場所:東京都世田谷区成城1丁目 【標識なし】 [由来分類:施設(野戦病院)]   この坂は、区立砧中学校の西側を通る成城通りの坂です。 少しきつい勾配があります。( 7% :16m/230m) 名前の由来は、この近くに野戦病院があったようです。 《撮影日:2009年11月22日》

無名坂(下馬2丁目の坂)

  場所:東京都世田谷区下馬2丁目 下馬2丁目25,26番地と31,32番地の間を走る坂です。こどものひろば公園の南側を南西から北東に上ります。緩やかな勾配の坂です。(4%:4m/91m) 《撮影日:2012年1月8日》

無名坂(豪徳寺1丁目の坂)

  場所:東京都世田谷区豪徳寺1丁目 豪徳寺1丁目41番地と42番地の間にある坂です。西の瀬田貫井線方面から東の小田急小田原線側に向けて上っていきます。少しきつい勾配があります。( 6% :3m/53m) 《撮影日:2010年1月10日》

畳屋(たたみや)坂

  場所:東京都世田谷区砧5丁目 【標識なし】 [由来分類:職業(畳屋)]   砧5丁目にある坂で、祖師谷通りを坂下にして東に上る坂です。 緩やかな勾配の坂です。(4%:10m/230m) 坂名の由来は、昔このあたりに畳屋があったことによるものだそうです。 《撮影日:2009年11月22日》

無名坂(鈴なり横丁横の坂)【北沢1丁目】

  場所:東京都世田谷区北沢1丁目 茶沢通りを坂下にして東へ上る坂です。 写真の手前が茶沢通りで奥への道がこの坂です。 写真ではわかりにくいのですが、少しきつい勾配があります。( 9% :6m/68m) 《撮影日:2012年1月8日》

無名坂(上野毛3丁目の石段坂)

  場所:東京都世田谷区上野毛3丁目 無名坂(上野毛3丁目の坂Ⅰ) から続く石段坂です。 短いですが高低差がすごく、転がり落ちるような感じのとても急な坂です。   《撮影日:2009年11月22日》

無名坂(上野毛3丁目の坂Ⅱ)

  場所:東京都世田谷区上野毛3丁目 上野毛3丁目17番地と19番地の間の坂です。 西から東へ上る坂で、少しきつい勾配があります。( 8% :5m/61m) 《撮影日:2009年11月22日》

無名坂(上野毛3丁目の坂Ⅰ)

  場所:東京都世田谷区上野毛3丁目 上野毛3丁目18番地の南側を西から東に上る坂です。 相当きつい勾配のある坂です。( 15% :8m/53m) 《撮影日:2009年11月22日》 <寄り道で見つけた>👀📸 関東の富士見百景(富士見橋)

稲荷(いなり)坂【上野毛2丁目】

  場所:東京都世田谷区上野毛2丁目 【標識なし】[由来分類:施設(神社仏閣)] 上野毛稲荷神社と上野毛自然公園の間を南西から北東に上る坂です。 上野毛通りの結構きつい勾配の坂です。( 10% :19m/200m) 《撮影日:2009年11月22日》 <寄り道で見つけた>👀📸 上野毛自然公園 稲荷橋 上野毛稲荷神社

無名坂(尾山台2丁目の坂Ⅵ)

  場所:東京都世田谷区尾山台2丁目 尾山台2丁目17番地(狐塚古墳緑地)と等々力1丁目14番地の間を南から北へ上る坂です。 無名坂(向田坂前の坂 )と同じ坂上の坂です。 少しきつい勾配があります。( 8% :11m/130m) 《撮影日:2009年11月22日》

無名坂(尾山台2丁目の坂Ⅴ)

  場所:東京都世田谷区尾山台2丁目 尾山台2丁目14番地と15番地の間をくねりながら南から北へ上る坂です。 無名坂(尾山台2丁目の坂Ⅳ) と並行に走る坂です。 少しきつい勾配があります。( 8% :11m/140m) 《撮影日:2009年11月22日》

無名坂(尾山台2丁目の坂Ⅲ)

 場所:東京都世田谷区尾山台2丁目 尾山台2丁目11,23番地と12,13番地の間を北を坂上として南北に走る坂です。 寮の坂 の西側に位置し、ほぼ並行に走ります。 少しきつい勾配のある坂です。( 7% :11m/160m) 《撮影日:2009年11月22日》

無名坂(尾山台2丁目の坂Ⅳ)

  場所:東京都世田谷区尾山台2丁目 尾山台2丁目12,13番地と14番地の間を南から北へ上る坂です。 無名坂(尾山台2丁目の坂Ⅲ) と並行に走る坂です。 少しきつい勾配があります。( 8% :10m/120m) 《撮影日:2009年11月22日》

無名坂(尾山台2丁目の坂Ⅱ)

  場所:東京都世田谷区尾山台2丁目 無名坂(尾山台2丁目の坂Ⅰ) の南側(尾山台2丁目11番地と24番地の間)に位置し、ちょうど 寮の坂 の石板がある付近から西側に下る急な坂道 です。 (室町時代には低地・谷を籠谷戸と呼んだそうです) 写真の奥が急勾配となっていて、滑り止めが施されています。( 12% :7m/60m) 《撮影日:2009年11月22日》

無名坂(尾山台2丁目の坂Ⅰ)

  場所:東京都世田谷区尾山台2丁目 環八通りと並行に走る坂で、尾山台2丁目24番地と25番地の間にあります。 西から東へ上る坂です。 結構きつい勾配があります。( 11% :6m/56m) この坂の坂上から少し南下すると 寮の坂 の坂上が あります。 《撮影日:2009年11月22日》

寮(りょう)の坂

  場所:東京都世田谷区尾山台2丁目 【標識(石板)の説明】 [由来分類:施設(僧侶の学寮] 松高山傳乗寺は、区内における古刹であり、その縁起は遠く後伏見天皇の正和5年(1316)と刻まれた板碑の発掘によっても知られるものである。往昔傳乗寺は坂の東側台地に所在し、かつ本道とならんで僧侶の学寮が建てられていたために、この坂道を土地の人日は 寮の坂 と呼んでいる。坂上にある民家の屋号が堂の上と通称されていたことと考え合わせると、この坂の名称の由来が思い起こされる。  なお、寮の坂の東側にある雙葉学園を抱く盆地は、室町時代に籠谷戸と呼ばれる入江で、多摩川の水が滔滔と打ち寄せ、時の奥沢城主大平出羽守は、上流から運ばれた武器、兵糧の類を籠谷戸の寮の坂あたりに陸揚げして城へ運び入れたともいい伝えられている。さらに時代は下り、江戸時代に入ると、川崎泉沢寺と奥沢浄真寺の中間軍事拠点として小山傳乗寺がこれに当り、寮の坂は軍用道路として兵馬の往来がはげしかったそうである。 八幡塚古墳の東側を南から北へ上る坂で、少しきつい勾配があります。( 7% :18m/260m) この坂の坂上を北への進むと 無名坂(尾山台2丁目の坂Ⅰ) が、中程には 無名坂(尾山台2丁目の坂Ⅱ) の坂上があります。 《撮影日:2009年11月22日》