スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

ラベル(<H097>形状・地形(切り通し))が付いた投稿を表示しています

けこぼ坂

場所:東京都目黒区中目黒3丁目 【標識(東京都設置)の説明】 [由来分類:形状・地形、自然現象]   この道は昔の祐天寺道で祐天寺を経て碑文谷衾に目黒の主要道路であった。かつてこのあたりは急坂であったため斜面を切り開く切通しの工事が何回となく繰り返された。その結果道の両側の土手はますます高くなり風雨にさらされた土手からは赤土のかたまりがざらざらこぼれおちた。この状態を目黒の古い方言で「けこぼ」といい、土地の人々はこの坂を「 けこぼ坂 」と呼んでいた。 中目黒立体交差交差点から駒沢通りを南に上る坂です。 緩やかな勾配の坂です。(4%:12m/290m) 《撮影日:2010年1月3日》

目切(めきり)坂

場所:東京都目黒区青葉台1丁目 【標識(目黒区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:職業 or 形状・地形]   この付近にうすの目切りをする石工が住んでいたので 目切坂 とよばれるようになったといわれる。また、斜め切り通しなので 目切坂 とよばれるようになったともいわれる。 西郷山通りから東京音楽大学中目黒代官山キャンパスの北側を東に上る坂です。(上目黒1丁目の8番地と青葉台1丁目の6番地の間) 坂上が 違う坂 (Google mapでは東京富士見坂)の坂下となっています。 現在では一つの繋がった坂に思えますが。 少しきつい勾配のある坂です。( 7% :19m/280m) 《撮影日:2010年1月3日》

切通(きりどおし)坂【湯島3丁目】

場所:東京都文京区湯島3丁目 【標識(文京区教育委員会設置)の説明】   [由来分類:設置背景、設置時期、形状・地形(切り通し)]   「御府内備考」には「切通は天神社と根生院との間の坂なり、是後年往来を聞きし所なればいふなるべし。本郷三、四丁目の間より池の端、仲町へ達する便道なり、」とある。湯島の台地から、御徒町方面への交通の便を考え、新しく切り開いてできた坂なので、その名がある。  初めは急な石ころ道であったが、明治37年(1904)上野広小路と本郷三丁目間に、電車が開通してゆるやかになった。  映画の主題歌「湯島の白梅」“青い瓦斯灯境内を 出れば本郷切通し”で、坂の名は全国的に知られるようになった。  また、かつて本郷三丁目交差点近くの「喜之床」(本郷2-38-9・新井理髪店)の二階に間借りしていた石川啄木が、朝日新聞社の夜勤の帰り、通った道である。   二晩おきに夜の一時頃に切り通しの坂を上りしも      勤めなれかな   石川啄木 湯島天神入口を坂上として春日通りを東へ下る坂です。 大きな道幅の緩やかな坂です。(4%:9m/210m) 《撮影日:2008年10月12日》 《撮影日:2011年1月4日》

切通(きりどおし)坂【芝公園3丁目】

場所:東京都港区芝公園3丁目 【標識なし】[由来分類:maybe 形状・地形(切り通し) ] 芝学園(中学校・高等学校)横を坂上とし、 正則高校側に下る 坂です。 勾配は緩やかな坂です。(5%:9m/180m) 《撮影日:2009年2月7日》

山王切通し(さんのうきりどおし)坂

場所:東京都千代田区永田町2丁目 【標識なし】 [由来分類:施設(神社仏閣)、形状・地形(切通し)]   山王鳥居(赤坂側)をくぐりぬけ左手にある坂道で外堀通りと平行に南北に走っています。 車で参拝される方が利用されます。 一旦上って途中から少し下るという坂です。 勾配はそこそこあり少しきつい坂です。( 6% :8m/130m) 《撮影日:2010年1月10日》

帯(おび)坂[切通し坂]

場所:東京都千代田区九段南4丁目 【標識(千代田区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:伝説・言い伝え、形状・地形(切り通し)] この坂を 帯坂 といいます。名称は歌舞伎で有名な番町皿屋敷の旗本青山播磨の腰元お菊が髪をふり乱し帯を引きずってにげたという伝説によります。また一名 切通し坂 ともいわれたのは、寛永年間(1624~1643)外堀普請の後に市ケ谷御門へ抜ける道として切り通されたのでその名がつけられたといいます。 「靖国通り」の九段南四丁目と五番町の境界を、日本棋院を右手に見ながら南に上る坂です。怪談「番町皿屋敷」のヒロインお菊が、髪をふり乱し、帯をひきずりながらここを通ったという伝説から、 帯坂 の名がつけられたといわれています。また、寛永年間(1624-1643)の外堀普請後に市ヶ谷御門へ抜ける切通しとして作られたので、 切通し坂 の名もあります。(千代田区HPより引用) 二七通りから都営新宿線の 市谷駅に向かって下る坂 で 、勾配の少しきつい坂です。( 6% :8m/140m) 《撮影日:2008年12月28日》