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駒(こま)坂【四葉2丁目】

  場所:東京都板橋区四葉2丁目 【標識なし】 [由来分類:不  明  ] 旧小字馬場(現、四葉2-27,28辺り)から台地に下りる坂をいう。下は 種井坂 と合流する。四葉や徳丸の農家の人たちが徳丸田圃(現、高島平)へ行くのに通った主要な道であった。 「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 板橋区立向口公園の西側を南西方向に上る坂です。写真の手前に移っているのは 無名坂(向口公園の坂) で、本坂は真っすぐに緩やかに上っている方です。(5%:8m/150m) 《撮影日:2009年8月16日》

宮前(みやまえ)坂【四葉1丁目】

  場所:東京都板橋区四葉1丁目 【標識なし 】  [由来分類:旧地名]  四葉の稲荷神社前を通る四葉道が、前谷津川の谷に下る坂である。この辺りの旧小字は宮前という。この先は荒川の早瀬を渡ってきた浦和道と合流し、練馬北町方面に向かう。 「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 新大宮バイパスと並行して北へ上る坂です。緩やかな勾配の坂です。(5%:8m/170m) 《撮影日: 2009年8月16日》

海老山(えびやま)の坂

  場所:東京都板橋区弥生町 【標識なし】 [由来分類:植物] 川越街道(国道254号)から分かれ、旧川越街道の上板橋宿に入るとすぐに緩やかな坂になる。 海老山の坂 という。この辺りの山を海老山と呼び、飢饉に備えた稗蔵があった。ヒエが訛ってエビと呼ばれるようになった。 「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 川越街道(国道254号線)日大病院入口交差点から北へ下る坂です。緩やかな勾配の坂です。(2%:4m/190m)坂上の日大病院入口交差点は 無名坂(仲町の坂) の坂上にもなっています。       《撮影日:2010年5月4日》

だらだら坂

場所:東京都板橋区向原2丁目 【標識なし】 [由来分類:形状・地形(長さ)] 向原小学校(向原2-34)の南側を上る曲がりくねった坂道がある。だらだらと長いのでこの名が付いた。この道は台橋道といわれ、北に行けば石神井川の台橋を渡り川越街道に出る。南は江古田通りに出る。「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 板橋区立向原小学校の南を南東に上る坂です。緩やかな勾配の坂です。(4%:5m/130m) 《撮影日:2010年5月4日》

長命寺(ちょうめいじ)坂

  場所:東京都板橋区南常盤台1丁目 【標識なし】 [由来分類:施設(神社仏閣)] 旧川越街道が下頭橋を渡り西に曲がり、長命寺(東山町48)があるお東山の方に上がる坂道を 長命寺坂 という。このお東山には、板橋城があったというが確証はない。 「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 環七通り(都道318号線)と川越街道(国道254号線)が板橋中央陸橋で立体交差します。ここを坂上として曲がりながら東へ下る坂です。 緩やかな勾配の坂です。(3%:4m/150m) 《撮影日:2010年5月4日》

暗闇(くらやみ)坂【南常盤台1丁目】

  場所:東京都板橋区南常盤台1丁目 【標識なし】 [由来分類:所在位置(くらがり)] 石神井川に架かる下頭橋のたもとから天祖神社(南常盤台2-4)に向かう道は、さらに前野の方に向かうので前野道といわれた。この道が環7通りを横切るとすぐに坂道になる。崖の上から覆いかぶさる樹木で昼なお暗かったというところから 暗闇坂 と呼ばれる。 「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 環七通り(都道318号線)から北西に上る坂です。緩やかな勾配の坂です。(3%:5m/150m) 《撮影日:2010年5月4日》 <寄り道で見つけた>👀📸 ときわ台天祖神社

無名坂(前野町4丁目交差点の坂)

  場所:東京都板橋区前野町4丁目 無名坂(城山通りの坂) の坂下から首都高速5号池袋線の高架下まで下る坂です。前野町4丁目40番地から5丁目47番地と48番地の間にあります。緩やかな勾配の坂です。(3%:2m/67m) 《撮影日:2009年1月11日》

無名坂(見次公園前交差点の坂)【前野町4丁目】

  場所:東京都板橋区前野町4丁目 前野中央通り(前野町4丁目22番地と3丁目43~45番地の間)を走る坂で、南から北へ下って行きます。写真の上部に影のように映っているのは首都高速5号池袋線です。見次公園前交差点で 無名坂(福寿通りの坂) と対峙します。緩やかな勾配の坂です。(3%:4m/120m) 《撮影日:2009年1月11日》

無名坂(福寿通りの坂)【前野町3丁目】

  場所:東京都板橋区前野町3丁目 坂下が見次公園前交差点で、坂上が福寿通りの見次公園上交差点になります。くねりながら上る緩やかな勾配の坂です。(4%:9m/210m)坂下は 無名坂(見次公園前交差点の坂) 、坂の途中に 無名坂(見次公園横の坂) の坂下があります。 《撮影日:2009年1月11日》

無名坂(大原町の坂)

  場所:東京都板橋区大原町 大原町35番地と46番地の間にある坂です。北から南へ上ります。緩やかな勾配の坂です。(4%:3m/79m) 《撮影日:2010年5月4日》

岩(いわ)の坂[いやの坂][縁切り坂][宝来坂]

  場所:東京都板橋区本町 【標識なし】 [由来分類:所在位置(くらがり)] いやの坂 ・ 縁切り坂 ・ 宝来坂 ともいわれる。旧中山道が本町18の縁切榎前から北に上がる坂を 岩の坂 という。坂の左側にかつて二股になった榎の大木が聳え、奥に、第六天社があった。今は反対側に移され、榎は三、四代目になっている。坂の南側かわ覆いかぶさる樹木により昼なお薄暗く、不気味な坂であったので「 いやな坂 」が訛って「 いわの坂 」と呼ばれた。 「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 縁切榎を坂下にして首都高速5号線の東側を北の環七通りに向けて上る坂です。緩やかな勾配の坂です。(2%:3m/170m) 《撮影日:2010年5月4日》       <坂の途中で>👀📸  坂の途中にある板橋区の名所 縁切榎       江戸時代から板橋宿の名所として名高い縁切榎。もともと大六天神の神木でした。皇女和宮が   降嫁の際、縁起が悪いと、この場所を迂回したという逸話が残っていますが、庶民の間では、悪   縁は切ってくれるが良縁は結んでくれるというので礼拝の対象となっていました。(板橋区HPより)

弥陀堂(みだどう)の坂

  場所:東京都板橋区西台3丁目 【 標識なし】 [由来分類:施設(神社仏閣:弥陀堂)] 台地の斜面上にある法蔵庵を地元では、弥陀堂(本尊阿弥陀如来)と呼んでいる。この下の坂を 弥陀堂の坂 という。坂の上には古刹円福寺があり、法蔵庵はこの境外堂になっている。 「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 この坂もどこが坂下で坂上なのか不明確でした。円福寺法蔵庵あたりから板橋区立西徳第二公園の西側あたりまでがこの坂であろうと思われます。そのあたりを目途に勾配をみると 全体的には緩やかな勾配ということになりました。(3%:11m/350m) 《撮影日:2009年8月16日》

番場稲荷(ばんばいなり)の坂

  場所:東京都板橋区西台3丁目 【標識なし】 [由来分類:施設(神社仏閣:稲荷社)】 西台3-11に稲荷社が祀ってあった。この前の道が西に下がる坂を 番場稲荷の坂 という。この南側の谷一帯は番場と呼ばれ、稲荷の前の坂なのでこの名が付いた。 「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 どこからどこまでがこの坂なのか全体像はよくわかりませんでした。坂上がどこで坂下がここでとは断定できませんでした。地図に記載されている名称を頼りに勾配を調べてみました。(3%:13m/500m) 《撮影日:2009年8月16日》      

無名坂(西台2丁目の坂Ⅰ)

  場所:東京都板橋区西台2丁目 西台2丁目18,19番地と20,21番地の間を北から南へ上る坂です。緩やかな勾配の坂です。(4%:4m/100m) 《撮影日:2009年8月16日》

無名坂(西台1丁目の坂)

  場所:東京都板橋区西台1丁目 新道の坂 の坂下付近から 伝兵衛坂 に向けて上って行く坂です。あたかも二つの坂を繋ぐそんな坂です。勾配は緩やかで真っすぐな坂です。(4%:5m/120m)西台1丁目50番地と51番地の間にあります。 《撮影日:2009年8月16日》

とりげつ坂

  場所:東京都板橋区西台2丁目 【標識なし】 [由来分類:自然(谷の名)・自然(山の名)] 善良寺(西台2-18)の前から西台の台地に上がる坂をいう。この道は古くからあり、坂の上には馬頭観音が祀られ、ここに一里塚があったという。戸田から丁度一里という。中山道から分かれ練馬の石神井を経て、遠く府中方面に行く重要な道であった。  この坂は、「とりが谷津山」の谷津に沿って上がるので「とりがやつ」が「とりげつ」となったと考えられる。「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 新道の坂 の北西を並行に北から南に上る坂です。 新道の坂 が新しく設置されたためか、こちらは細くくねりながらのままの坂となっています。ゆるやかな勾配の坂です。(5%:18m/400m) 《撮影日:2009年8月16日》

新道(しんどう)の坂【西台1丁目】

  場所:東京都板橋区西台1丁目 【標識なし】 [由来分類:設置時期】 土地の人は、この坂を「 新道の坂 」と呼ぶ。昭和6年頃から道路工事が始まり同8年には鉄骨の西台陸橋も完成し、西台初の近代道路が開通した。これまでは西側の とりげつ坂 を上り下りしなければならなかったので大いに助かり、皆が感謝した。 「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 とりげつ坂 とほぼ並行して南へ上る坂です。緩やかな勾配の坂です。(4%:16m/400m)坂下付近から 無名坂(西台1丁目の坂) が東へ上って行きます。 《撮影日:2009年8月16日》

無名坂(成増4丁目の坂)

場所:東京都板橋区成増4丁目 石坂 の坂上から更に南側に上る真っすぐな坂です。緩やかな勾配の坂です。(3%:5m/180m) 《撮影日:2010年5月5日》  

太郎(たろう)坂

  場所:東京都板橋区成増4丁目 【標識なし 】 [由来分類:不 明  ] 今の成丘通りの一部で、北側は徳丸久保といわれる窪地で、窪地の縁に沿って大きく曲がり青蓮寺(成増4-26)の方に向かう。西に向かえば成増ヶ丘小・赤塚二中の南側を通り 百々女木坂 に なる。坂の名の由来は不詳である。「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用   成丘通りを坂下にして北へ上る坂です。緩やかな勾配の坂です。(2%:3m/130m) 説明文には青蓮寺や 百々女木坂 が記載されていますが、どちらもこの坂のすぐ近くではなく、”そのまま行けばたどりつく。”といった感じでしょうか。 《撮影日:2010年5月5日》

無名坂(成増3丁目の坂Ⅱ)

  場所:東京都板橋区成増3丁目 成増北口通りを坂下にして西へ上る坂です。写真奥が坂下側の成増北口通りです。緩やかな勾配の坂です。(5% :8m/160m)成増3丁目26,27番地と29,30番地の間にあります。坂上が 無名坂(成増3丁目の坂Ⅰ) になります。 《撮影日:2010年5月5日》