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ラベル(<H086>形状・地形(狭隘))が付いた投稿を表示しています

馬(うま)坂[寺坂]【田園調布5丁目】

場所:東京都大田区田園調布5丁目 【標識(大田区設置)の説明 】 [由来分類:形状・地形(狭隘)]    この坂道は、大正のころまで馬が引く荷車で台地を上る唯一の坂道であるため 馬坂 と呼ばれていた。昔は荷車が通るだけの狭い道幅であったが、耕地整理により道幅も現在に近いものになったといわれる。また、 寺坂 とよばれたこともあった。   西岡31号古墳側を坂下に北へ上る坂です。 名前のとおり狭い山道のようで、結構きつい勾配の坂です。( 10% :21m/220m) 坂下には照善寺があり、秋のお彼岸が近いため墓参に訪れる人が多い日でした。 《撮影日:2009年9月20日》

大(おお)坂【青葉台4丁目】

場所:東京都目黒区青葉台4丁目 【標識(目黒区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:形状・地形]   厚木街道(江戸から厚木まで)の間にあった四十八坂のうち、急坂で一番大きな坂であったので、 大坂 と呼ぶようになったといわれる。この坂標識の北側の坂が旧道で、南側の坂が新道である。 玉川通りの北側を並行に西から東へ上る坂です。(青葉台4丁目の7番地と8番地の間 大坂緑地の南側) 少しきつい勾配のある坂です。( 9% :13m/140m) 《撮影日:2010年1月3日》

鼠(ねずみ)坂[水見坂]【音羽1丁目】

場所:東京都文京区音羽1丁目 【標識(文京区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:形状(狭隘)]   音羽の谷から小日向台地へ上る急坂である。   鼠坂 の名の由来について「御府内備考」は「鼠坂は音羽五丁目より新屋敷へのぼる坂なり、至てほそき坂なれば鼠穴などといふ地名の類にてかくいふなるべし」とある。  森鴎外は「小日向から音羽に降りる 鼠坂と 云う坂がある。鼠でなくては上がり降りが出来ないと云う意味で附けた名ださうだ・・・人力車に乗って降りられないのは勿論、空車にして挽かせて降りることも出来ない。車を降りて徒歩で降りることさへ、雨上がりなんぞにはむづかしい・・・」と小説 「 鼠坂 」 でこの坂を描写している。  また 、“ 水見坂 ” とも呼ばれていたという。この坂上からは、音羽谷を高速道路に沿って流れていた、弦巻川の水流が眺められたからである。 音羽通りから東に入ったところにある坂で、鳩山会館の北側に位置します。 写真でもわかるように狭くて相当に急な石段併用坂です。( 20% : 15m/74m) 《撮影日:2008年11月2日》

袖摺(そですり)坂【箪笥町】

場所:東京都新宿区箪笥町 【標識(新宿区教育委員会設置)の説明 】   [由来分類:形状・地形(狭隘)]   狭い坂道でお互いに袖を摺り合わせるほどだったという。そんなことから、誰いうとなく 袖摺坂 というようになったという。 大久保通りの 弁天坂 の途中から北へ上がる狭い階段の坂です。 石垣と塀とに囲まれているので、今でもすれ違うのに 袖が摺れあう かも 。   《撮影日:2008年11月23日》 《撮影日:2011年7月29日》

鼠(ねずみ)坂【市谷鷹匠町】

場所:東京都新宿区市谷鷹匠町 【標識(新宿区教育委員会設置)の説明】   [由来分類:形状・地形 (狭隘)]     細くて狭い坂だったから、まるで鼠がとおるほど狭かったからそう名づけたのであろう。 雨も気になって、坂の標識を見つけることができませんでした。   DNP大日本印刷と中根坂東公園の間を南西から北東に上る坂です。 路面が雨に濡れていてよくわかりますが、滑り止めが施された坂です。 少しきつい勾配のある坂です。( 6% :5m/82m) 《撮影日:2009年5月6日》

鼠(ねずみ)坂[鼬坂]【麻布狸穴町】

坂上から坂下を望む 場所:東京都港区麻布狸穴町 【標識(港区設置)の説明】  [由来分類:形状(狭隘)]   細長く狭い道を江戸で ねずみ 坂 と呼ぶふうがあった。一名 鼬(いたち)坂 で 上は 植木坂 につながる。 植木坂 と 鼬坂 の坂下が 鼠坂 の坂上になっています。 ”一名 鼬坂 ・・・”とあるのはそのためと思われます。 少しきつい勾配の坂です。( 8% :7m/86m) 《撮影日:2009年2月7日》

袖摺(そですり)坂【一番町】

場所:東京都千代田区一番町 【標識(千代田区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:形状(狭隘)] この坂を 袖摺坂 といいます。むかし、この坂道は行きあう人の袖と袖がふれあうほどでせまいのでその名がついたといわれます。幅のせまい道をこのように名付けた例は他にも見られます。 今は袖が振れあうほど狭くもなく、当時の狭隘さは感じられません。  他区の同名の坂には、その意味の通り今でもすれ違うのが難しい坂も存在しています。 大妻通りと番町中央通りの交差点か ら南へ下る 大 妻通りの坂です。 勾配は緩やかです。(3%:4m/120m) 《撮影日:2008年12月28日》 <坂の途中で>👀📸 作曲家 滝廉太郎居住地跡です。 千代田区教育委員会設置の標識には下記のように記載されています。 「滝廉太郎は、この交差点から西に100メートル程の所(一番町六番地ライオンズマンション一番町第二)、明治二十七(1894)年ごろから、三十四(1901)年四月まで居住していました。今日でも愛唱されています名曲「花」・「荒城の月」・「箱根八里」・「お正月」・「鳩ぽっぽ」など、彼の作品の多くはそこで作られました。・・・」