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袖摺(そですり)坂【一番町】


場所:東京都千代田区一番町

【標識(千代田区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:形状(狭隘)]
この坂を袖摺坂といいます。むかし、この坂道は行きあう人の袖と袖がふれあうほどでせまいのでその名がついたといわれます。幅のせまい道をこのように名付けた例は他にも見られます。
今は袖が振れあうほど狭くもなく、当時の狭隘さは感じられません。 他区の同名の坂には、その意味の通り今でもすれ違うのが難しい坂も存在しています。大妻通りと番町中央通りの交差点から南へ下る妻通りの坂です。勾配は緩やかです。(3%:4m/120m)

《撮影日:2008年12月28日》


<坂の途中で>👀📸



作曲家 滝廉太郎居住地跡です。
千代田区教育委員会設置の標識には下記のように記載されています。

「滝廉太郎は、この交差点から西に100メートル程の所(一番町六番地ライオンズマンション一番町第二)、明治二十七(1894)年ごろから、三十四(1901)年四月まで居住していました。今日でも愛唱されています名曲「花」・「荒城の月」・「箱根八里」・「お正月」・「鳩ぽっぽ」など、彼の作品の多くはそこで作られました。・・・」

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