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無名(むめい)坂

  場所:東京都世田谷区岡本1丁目 坂上付近に 無名塾 があります。そこから 無名坂 と名付けられたそうです。 伊木家下屋敷長屋門の西側( 岡本1丁目3番地と7番地の間) を南から北へ上る坂です。 坂下側の勾配が特にきつくなっています。( 9% :13m/140m) 《撮影日:2009年11月22日》

昌平(しょうへい)坂

場所:東京都文京区湯島1丁目 【標識(文京区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:施設(学校・学問所)昌平坂学問所]   湯島聖堂と、東京医科歯科大学のある一帯は、聖堂を中心とした江戸時代の儒学の本山ともいうべき「昌平坂学問所(昌平黌)」の敷地であった。 そこで学問所周辺の三つの坂を、ひとしく「 昌平坂 」と読んだ。この坂もその一つで、昌平黌を今に伝える坂の名である。 元禄7年(1694)9月、ここを訪ねた桂昌院(徳川五代将軍綱吉の生母)は、その時のことを次の和歌に詠んでいる。 万世の秋もかぎらしもろともに もうでて祈るみちぞかしこ 昔は昌平坂学問所(湯島聖堂)を囲む三坂 相生坂 、 湯島坂 ともども 昌平坂 と呼ばれていたようです。 緩やかな勾配の坂です。(5%:6m/110m) 《撮影日:2008年7月2日》 《撮影日:2013年9月14日》

弥生(やよい)坂[鉄砲坂]

場所:東京都文京区弥生2丁目 【標識(文京区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:地名(弥生町)、施設(学校・学問所)]   かつてこのあたり一帯は「向ヶ岡弥生町」といわれていた。元和年間(1615~24)の頃から御三家水戸藩の屋敷(現東大農学部、地震研究所)であった。隣接して、小笠原信濃守の屋敷があり、南隣は加賀藩前田家の屋敷(現東大)であった。  明治2年(1869)これらの地は明治政府に公収されて大学用地になった。明治5年(1872)には、この周辺に町家が開かれ、向ヶ岡弥生町と名づけられた。その頃、新しい坂道がつけられ、町の名をとって 弥生坂 と呼ばれた。明治の新坂で、また坂下に幕府鉄砲組の射撃場があったので 鉄砲坂 ともいわれた。  弥生とは、水戸徳川斉昭候が、文政11年(1828)3月(弥生)にこのあたりの景色を詠んだ歌碑を、屋敷内に建てたからという。   名にしおふ張るに向ふが岡なれば       世にたぐひなき花の影かな                         徳川 斉昭 言問通りを走る坂で、根津一丁目から東京大学工学部の北側を西に上る坂です。 勾配は緩やかな坂です。(5%:8m/150m) 《撮影日:2009年10月4日》

鉄砲(てっぽう)坂【関口3丁目】

場所:東京都文京区関口3丁目 【標識(文京区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:施設(学校・学問所)]   この坂は音羽の谷と目白台を結ぶ坂である。坂下の東京音楽学校学生寮のあたりは、江戸時代には崖を利用して鉄砲の射撃練習をした的場(角場・大筒角場ともいわれた)であった。その近くの坂をいうことで「 鉄砲坂 」とよばれるようになった。 東京音楽大学目白台学生寮の南側を音羽通り方面(東)に下る坂です。 結構きつい勾配のある坂です。( 13% :14m/110m) 《撮影日:2008年11月2日》

鉄砲(てっぽう)坂【西麻布3丁目】

場所:東京都港区西麻布3丁目 【標識なし】【由来:施設(学校・学問所)】 江戸時代、坂のがけ下に幕府の鉄砲練習場があったことからこの名がついた。(港区HPより引用) 外苑西通りから 東南方向へ上る 坂です。 坂上は 北条坂 の坂下となっていて繋がっているようにも見えます。 少しきつい勾配の坂です。( 7% :5m/70m) 《撮影日: 2 009年4月19日》

錦華(きんか)坂

場所:東京都千代田区神田駿河台1丁目 【標識(千代田区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:施設(小学校)] この坂を 錦華坂 といいます。名称は坂下に錦華小学校があるからです。この坂を勧学坂(かんがくざか)と呼ぶのは誤りです。この坂は大正13年(1924)8月 政府による区画整理委員会の議決により新しく作られた道路です。「議決要綱の三」には“南甲賀町より袋町3番地を横断して裏猿楽町2番地先錦華小公園東側に通ずる六米街路を新設”とあります。 錦華公園の東側を、文化学院前の「とちの木通り」の方へ上る坂です。錦華公園の南側にあるお茶の水小学校の旧名「錦華小学校」から、坂の名がおこったと思われます。(千代田区HPより引用) 区立お茶の水小学校の東を坂下として、 北に駆け上がる 坂です。 勾配が少しきつい坂です。( 6% :10m/180m) 《撮影日:2008年12月28日》 <寄り道で見つけた>👀📸   猿楽町のお茶ノ水小学校近辺の紹介です。 最初の写真は夏目漱石がここ(お茶の水小学校)で学んだことが記してある石碑です。 石碑には「我輩は猫である」の冒頭文が彫ってあります。  右下の写真は、小学校前の猿楽通りの標識です。