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しったり坂

                               場所:東京都板橋区大門 【標識なし】 [由来分類:形状 or 自然現象 or 名前の転化】 昔、大門の農家の人たちが徳丸田んぼ(高島平)へ通うため諏訪神社の西裏手の崖から下る坂をいう。坂の名の語源は明らかでないが、非常な急坂なので、農耕の道具や収穫物を運ぶのは大変な苦労で、腰を落として後押しをする姿から「 尻垂れ坂 」になった。また、坂の中程から「清水が湧き垂れる」からとか、湯気がひどいので「 湿ったり 」の音転ともいわれる。「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 東京都立赤塚公園大門地区を抜けて高島平方面に向かう抜け道のような坂です。写真でもわかるように途中には階段状となっており、気を付けないと滑りそうです。それこそ尻餅をつきそうです。 《撮影日:2010年5月5日》 <寄り道で見つけた>👀📸 赤塚諏訪神社 都営地下鉄三田線新高島平駅の南西,徒歩15分。信州の諏訪大社の分霊を勧請して文明年間(1469-1487年)に創建したと伝えられる。   鳥居をくぐると朱塗りの随身門があり,本殿の前には左右に銀杏の巨樹がある。夫婦銀杏と呼ばれ,樹齢は明らかではないが,縁結びや夫婦和合のシンボルとして信仰を集めている。   また,この神社は国の重要無形民俗文化財に指定されている「田遊び」の行事で知られている。田遊びとは,稲作の作業内容を唱えて五穀豊穣を祈願し,神に奉納する行事で,毎年2月13日に行われる。 (PORTAL TOKYO 東京ガイドより)

赤バッケ(あかばっけ)坂

  場所:東京都板橋区赤塚8丁目 【標識なし 】 [由来分類:自然現象]   区立赤塚溜池公園の東向かいの台地は都立赤塚公園になっている。ここに上がるためにコンクリートの階段があるが、昔は赤土そのままの崖の坂であった。 崖は狭(ハケ)と同義語で、このあたりのでは訛ってバッケといわれる。このことから土地の人達は、 赤バッケ坂 と呼んだ。溜池側から眺めると赤い関東ローム層の崖が見える。「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 坂下側が東京大仏通りになっていて東に上る階段の坂です。赤塚8丁目21番地と22番地の間にあります。 《撮影日:2010年5月5日》

藪(やぶ)の坂

  場所:東京都板橋区赤塚5丁目 【標識なし 】 [由来分類:植物 自然現象]   不動の滝(赤塚8-11)の前から赤塚城址の台地と、乗蓮寺のある台地との間を上がる狭間道がある。この坂の両側は笹の繁みの深いところであったので 藪の坂 と呼ばれる。「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 赤塚5丁目29番地と30番地の間にある坂で、 薬師堂の西側を上りま す。少しきつい勾配のある坂です。( 9% :10m/110m) 《撮影日:2010年5月5日》 <寄り道で見つけた> 👀📸 東京大仏は乗蓮寺の境内に鎮座していました。 乗蓮寺本堂の右手にあるのが高さ13mの青銅製の大仏、通称東京大仏です。平和を祈って建立された大仏は、完成当時日本第3位の大仏と言われ、板橋十景にも選ばれています。 境内にある様々な石像は、藤堂高虎が朝鮮から持ち帰ったと言われるもので、なかでも「がまんの鬼」のユーモラスな表情が楽しいですよ。(板橋区HPより)

つるし坂

  場所:東京都板橋区赤塚5丁目 【標 識なし 】 [由来分類:自然現象 or 所在位置(川へ)] 赤塚植物園の南側は上谷津の谷で、赤塚小学校の北側あたりを谷頭として谷川が流れていた。この谷に上がり下りする坂を つる し坂 と呼ぶ。現在は土盛されて緩やかになっているが、かなりの急坂である。「つる」は「水流」の意で、「し」は接尾語であり、雨の時は大いに水の流れる坂を意味する。  この坂道は、南にある大堂の下の前谷津川を渡る橋「亀橋」に続くので、対照的に「 鶴嘴坂(つるしさか ) 」 と、鶴と亀のめでたい意味付けがなされていた。「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 板橋区立赤塚植物園の南側に位置し、南東から北西に上る坂です。勾配は緩やかです。(3%:4m/120m) 《撮影日:2010年5月5日》

清水(しみず)坂【中十条4丁目】

  場所:東京都北区中十条4丁目 【標識(東京都設置)の説明】 [由来分類:自然現象(清水)]   十条の台地から稲付の低地に下る岩槻街道(旧日光御成道)の坂である。昔はけわしく長い坂道だったので 十条の長坂 などとも呼ばれた。切り通しの崖からはたえず清水が湧き出ていたので、 清 水坂 の名が付けられた。現在は崖が削りとられて、その跡に児童公園が設けられているが、そこは貝塚遺跡でもあった。 環七通りの北区中十条三丁目交差点を坂上にして岩槻街道を北へ下る坂です。緩やかな勾配の坂です。(3%:9m/280m)坂上では環七通りを走る 馬坂 と出会い、坂下は 無名坂(清水坂公園前の坂) の坂下と出会います。また坂の途中は、 無名坂(清水坂横の坂Ⅱ) 、 無名坂(清水坂横の坂Ⅲ) の坂下となっております。 《撮影日:2008年8月15日》

かなくさ坂

  場所:東京都北区赤羽西6丁目 【標識(北区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:自然現象] この坂は、島下公園(赤羽西6-10-12)の北側を東の方へ登る坂です。名前の由来については定かではありませんが、鉄分を多く含む湧水の影響で池土が赤錆色に染まったことを、かなくさ(金属の匂いや味がすることを金臭いといいます)と表現したのではないかという説が知られています。 少しきつい勾配のカーブの坂です。(6%:5m/82m)坂上は本郷赤羽線(都道455号線)に出ます。 《撮影日:2009年2月8日》

ふか坂[馬坂]

  場所:東京都北区赤羽北3丁目 【標識(北区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:自然現象&所在位置]  赤羽北3丁目と板橋区小豆沢4丁目の境を南西に登る坂です。坂名は、うっそうとした樹木におおわれて、谷深い中を蛇行している坂であったことによります。坂を下って北へ行くと荒川にでます。そこは、かつて袋村河岸があり、地元では大根河岸とも呼んでいました。この坂は袋村河岸から中山道への通路にあり、 馬坂 とも呼ばれていました。 鬱蒼たる樹々につつまれた谷深い中を蛇行していた坂。 荒川の大根河岸から中山道へ通じる重要な道であったという。『北区の坂道』 北区と板橋区の区境を走る坂です。現在(撮影当時も含めて)は東京メガシティとなっていますが、元は雪印乳業東京工場があった場所です。今は整備されて緩やかな勾配の坂です。(5%:11m/220m) 《撮影日:2007年5月20日》 《撮影日:2009年4月Ⅰ6日》

弥之助(やのすけ)坂[シリモチ坂]

  場所:東京都渋谷区上原1丁目 【標識なし】 [由来分類:人名(池上弥之助)] 上原1丁目の高台40番と41番との間から、小田急線の踏切に向かって下る坂道をいう。往古、富ヶ谷の人・池上弥之助(享保年中の人、享保元年=1716年)の所有地前であったことから名づけられた。地元の吉田国太郎氏の談によると、土地の人々は、この坂を シリモチ坂 とも呼んでいたという。坂道が粘土質のため、雨が降ると通行人が滑ってころび、シリモチをつくことが多かったことから、いつとはなしに、シリモチ坂が通称となった。むかしはこの坂下に野菜などを洗う小川の水溜りがあり、坂道でころんだ人が、よくここで尻を洗っていたということである。  (渋谷の坂HPより引用) 北に下って更に折れて西に下る坂です。 結構きつい勾配のある坂です。( 11% :12m/110m) 《撮影日:2009年7月19日》

旭(あさひ)坂

  場所:東京都渋谷区上原1丁目 【標識なし】 [由来分類:自然現象(朝日)]   上原1丁目21番あたりの高台から、ほぼ北に向かって下り、小田急線の踏切を越えるかなり急傾斜の坂道である。地元の吉田国太郎氏の談によると、いま坂の両側は上原銀座商店街としてにぎわっているが、むかしは暗くてさみしい坂道だったという。昭和の初期にこの坂道が改修されたが、当時代々木上原町の町会長をつとめていた粟野政之亮氏が有志と図ってこの坂を 旭坂 と呼ぶことにしたという。改修された坂道に朝日が射すことから名づけたらしいが、坂名の表記には朝日と同音同義の旭の文字をあてた。 (渋谷の坂HPより引用) 上原1丁目からほぼ北に下る坂で、途中で小田急小田原線と東京メトロ千代田線の高架を潜ります。 少しきつい勾配の坂です。( 9% :13m/140m) 《撮影日:2009年7月19日》

ぬめり坂

場所:東京都大田区南久が原2丁目 【標識(大田区設置)の説明】 [由来分類:自然現象(ぬめり)]   『大森区史』は「鵜の木に用水を渡ってうっそうとした樹下を登るなだらかな坂がある。なだらかな坂ではあるが、ぬめって上れなかった。付近の豪家に美しい娘があった。娘は人々の難渋を気の毒に思い、自ら望んでその坂に生埋となった。以来その坂の通行は容易になり、大いに付近は繁栄したという」と記している。 環八通りの藤森稲荷前交差点から北に入ったところが坂下になり、藤森稲荷神社の西側を北へ上る坂です。 緩やかな勾配の坂です。(5%:6m/110m) 《撮影日:2009年9月20日》

化(ばけ)坂

場所:東京都目黒区八雲3丁目 【標識(目黒区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:自然現象]   元の 化坂 は耕地整理のため消滅している。武蔵野台地の斜面に多い赤土層に砂礫層が露出し、湧水が出るところを「はけ」といった。それが転じて 化坂 になったといわれる。また、この坂が衾(ふすま)と深沢の堺を分けたので「 分け坂 」とも呼んだという。 自由通りに向かって下る坂です。 坂下は 無名坂(自由通りを南へ下る坂) の坂下に出会います。 緩やかな勾配の坂です。(3%:3m/89m) 《撮影日:2010年1月3日》

馬喰(ばくろ)坂

場所:東京都目黒区中目黒5丁目 【標識(目黒区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:自然現象]   目黒の古い方言で風雨にさらされ地面に穴のあいた状態を「ばくろ」といった。この坂にはこの「ばくろ」が多かったので「ばくろ坂」と呼ぶようになったといわれる。馬喰とはあて字であろう。 なべころ坂 と 金毘羅坂 の間にある坂です。 西から東の目黒川に向かって下っていきます。 少しきつい勾配のある坂です。( 7% :13m/200m) 《撮影日:2010年1月3日》

なべころ坂

場所:東京都目黒区中目黒4丁目 【標識(目黒区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:形状(急坂)、自然現象]   昔は鍋が転がるほどの急坂であったので なべころ 坂 と呼ぶようになったといわれる。また、道に粘土が露出した状態を方言で「なべころ」といったことから坂名になったともいわれる。 中目黒南緑地公園の北側を東から西に上る坂です。 坂上にはなべころ坂緑地公園があります。 少しきつい勾配のある坂です。( 7% :17m/240m) 《撮影日:2010年1月3日》 <寄り道で見つけた>👀📸 なべころ坂緑地公園

けこぼ坂

場所:東京都目黒区中目黒3丁目 【標識(東京都設置)の説明】 [由来分類:形状・地形、自然現象]   この道は昔の祐天寺道で祐天寺を経て碑文谷衾に目黒の主要道路であった。かつてこのあたりは急坂であったため斜面を切り開く切通しの工事が何回となく繰り返された。その結果道の両側の土手はますます高くなり風雨にさらされた土手からは赤土のかたまりがざらざらこぼれおちた。この状態を目黒の古い方言で「けこぼ」といい、土地の人々はこの坂を「 けこぼ坂 」と呼んでいた。 中目黒立体交差交差点から駒沢通りを南に上る坂です。 緩やかな勾配の坂です。(4%:12m/290m) 《撮影日:2010年1月3日》

石古(いしこ)坂

場所:東京都目黒区下目黒5丁目 【標識(東京都設置)の説明】 [由来分類:形状・地形(悪路)or 自然現象 ]   その昔石ころが多い坂だったので、 石古坂 と呼ぶようになったといわれる。他に、古地図に記された「 石河坂 」が転じた説などがある。 林試の森公園(品川区)の東側を北から南へ上る坂です。 品川区と目黒区の区界を走る坂です。 少しきつい勾配のある坂です。( 7% :8m/110m) 《撮影日:2010年1月3日》 <寄り道で見つけた>👀📸 林試の森公園(品川区小山台2丁目)