スキップしてメイン コンテンツに移動

弥之助(やのすけ)坂[シリモチ坂]

 


場所:東京都渋谷区上原1丁目

【標識なし】 [由来分類:人名(池上弥之助)]

上原1丁目の高台40番と41番との間から、小田急線の踏切に向かって下る坂道をいう。往古、富ヶ谷の人・池上弥之助(享保年中の人、享保元年=1716年)の所有地前であったことから名づけられた。地元の吉田国太郎氏の談によると、土地の人々は、この坂をシリモチ坂とも呼んでいたという。坂道が粘土質のため、雨が降ると通行人が滑ってころび、シリモチをつくことが多かったことから、いつとはなしに、シリモチ坂が通称となった。むかしはこの坂下に野菜などを洗う小川の水溜りがあり、坂道でころんだ人が、よくここで尻を洗っていたということである。
 (渋谷の坂HPより引用)

北に下って更に折れて西に下る坂です。
結構きつい勾配のある坂です。(11%:12m/110m)

《撮影日:2009年7月19日》

コメント

このブログの人気の投稿

山王(さんのう)坂[鹿島坂]

場所:東京都千代田区永田町2丁目 【標識(千代田区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:施設(神社仏閣:山王社)] この坂を 山王坂 といいます。この坂のあたり明治維新まではほとんどが山王社(日枝神社)の社地であり、社前に下る坂なのでこの名がつけられてのでしょう。また一名 鹿島坂 と呼ばれていますが、坂の近くに明治時代の豪商鹿島清兵衛の邸宅があったのでそのようによばれたといいます。 永田町二丁目衆議院第一議員会館と第二議員会館の間を 日枝神社(山王社)前に下る 坂です。この坂の辺りは、明治維新まではほとんど山王社の社地でしたから、この名で呼ばれたのでしょう。また、坂の近くに明治時代の豪商鹿島清兵衛の屋敷があったので 鹿島坂 とも呼ばれました。(千代田区HPより引用) 衆議院会館前から山王日枝神社側に少しきつい勾配で下っています。( 8% :17m/210m) 《撮影日:2008年12月28日》 <坂の途中で>👀📸 赤坂山王散歩石標

雪見(ゆきみ)坂

場所:東京都大田区東雪谷3丁目 【標識(大田区設置)の説明 】 [由来分類:眺望・景観:富士山)]   かつて、この坂より富士山の頂の雪がよく見えたため、 雪見坂 と呼ばれるようになった。昭和六年から九年まで行われた耕地整理により、道路が整備された後につけられた坂名である。 東雪谷3丁目18番地と19番地の間を坂下として、北西に上る坂です。 少しきつい勾配のある坂です。( 8% :13m/160m) 《撮影日:2009年9月20日》

汐見(しおみ)坂【皇居東御苑】

場所:東京都千代田区皇居東御苑内 【標識の説明】 [由来分類:眺望・景観(海)] 本丸と二の丸をつなぐ坂道でした。その昔、今の新橋から皇居前広場の近くまで日比谷入江が入り込み、この坂から海を眺めることができました。坂の上には、汐見坂門が設けられていました。 皇居東御苑にある白鳥濠の北側の坂で、この坂を上ると旧本丸跡に出ます。『紫の一本』(戸田茂睡著)には、「此所より海よく見へ、汐のさしくる時は波ただ爰元へ寄るような故塩見坂といふ。今は家居にかくされて見へず。」とあり、下町方面が埋め立てられて、海岸線が遠くなり、市街地の栄えていくありさまがしのばれます。(千代田区HPより引用)   江戸の町は徳川家康によってひらかれ、長きにわたって水利・水運を中心とした埋め立てや区画整理が行われた結果、町が広がり日本の中心地となっていったことが今日の東京という大都市へ繋がっているのでしょう。  上水の整備や江戸城の築城による地方大名の屋敷の整備、各地の職人の集結等が大人口都市へと 導いていったのでしょう。  その長期にわたる都市展望を描けたのもすごい人物だと思います。 恐るべしは徳川家康! この坂は城内ということもあり、勾配はきつくなっています。 《撮影日:2009年1月11日》 <寄り道で見つけた>👀📸 大手門 大手門 大手高麗門 百人番所