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藪(やぶ)の坂

 


場所:東京都板橋区赤塚5丁目

【標識なし
】 [由来分類:植物 自然現象] 
不動の滝(赤塚8-11)の前から赤塚城址の台地と、乗蓮寺のある台地との間を上がる狭間道がある。この坂の両側は笹の繁みの深いところであったので藪の坂と呼ばれる。「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用
赤塚5丁目29番地と30番地の間にある坂で、薬師堂の西側を上ります。少しきつい勾配のある坂です。(9%:10m/110m)

《撮影日:2010年5月5日》

<寄り道で見つけた>👀📸


東京大仏は乗蓮寺の境内に鎮座していました。



乗蓮寺本堂の右手にあるのが高さ13mの青銅製の大仏、通称東京大仏です。平和を祈って建立された大仏は、完成当時日本第3位の大仏と言われ、板橋十景にも選ばれています。
境内にある様々な石像は、藤堂高虎が朝鮮から持ち帰ったと言われるもので、なかでも「がまんの鬼」のユーモラスな表情が楽しいですよ。(板橋区HPより)

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