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ぬめり坂



場所:東京都大田区南久が原2丁目

【標識(大田区設置)の説明】 [由来分類:自然現象(ぬめり)] 
『大森区史』は「鵜の木に用水を渡ってうっそうとした樹下を登るなだらかな坂がある。なだらかな坂ではあるが、ぬめって上れなかった。付近の豪家に美しい娘があった。娘は人々の難渋を気の毒に思い、自ら望んでその坂に生埋となった。以来その坂の通行は容易になり、大いに付近は繁栄したという」と記している。
環八通りの藤森稲荷前交差点から北に入ったところが坂下になり、藤森稲荷神社の西側を北へ上る坂です。緩やかな勾配の坂です。(5%:6m/110m)

《撮影日:2009年9月20日》

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