場所:東京都文京区白山2丁目
【標識(文京区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:施設(屋敷・邸宅)白山御殿)]
「
御殿坂は戸崎町より白山の方へのぼる坂なり。この上に白山御殿ありし故にこの名遺れり、むかしは大坂といひしや」(『改撰江戸志』)
「享保の頃、此坂の向ふに富士峰能く見えし故に、富士見坂ともいえり」(『江戸志』)
白山御殿は、五代将軍徳川綱吉が将軍就任以前、館林候時代の屋敷で、もと白山神社の跡であったので、白山御殿といわれ、また地名をとり小石川御殿ともいわれた。
綱吉の将軍職就任後、御殿跡は幕府の薬園となった。享保七年(1722)園内に”赤ひげ”で有名な小石川養生所が設けられた。また同20年には、青木昆陽が甘藷の試作をした。
明治になってからは東京大学の付属植物園となった。
植物園の松の花さへさくものを
離れてひとり棲むよみやこに 若山牧水(1885-1928)
小石川植物園の南東の面に沿って走る坂です。南西から北東に上る坂で、少しきつい勾配があります。(8%:15m/190m)折角の標識がスプレーで汚されていて本当に残念でした。「享保の頃、此坂の向ふに富士峰能く見えし故に、富士見坂ともいえり」(『江戸志』)
白山御殿は、五代将軍徳川綱吉が将軍就任以前、館林候時代の屋敷で、もと白山神社の跡であったので、白山御殿といわれ、また地名をとり小石川御殿ともいわれた。
綱吉の将軍職就任後、御殿跡は幕府の薬園となった。享保七年(1722)園内に”赤ひげ”で有名な小石川養生所が設けられた。また同20年には、青木昆陽が甘藷の試作をした。
明治になってからは東京大学の付属植物園となった。
植物園の松の花さへさくものを
離れてひとり棲むよみやこに 若山牧水(1885-1928)
《撮影日:2008年11月2日》
<寄り道で見つけた>👀📸
小石川植物園は東京大学大学院理学系附属植物園とのことです |
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