スキップしてメイン コンテンツに移動

忠弥(ちゅうや)坂


場所:東京都文京区本郷1丁目

【標識(文京区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:人名(丸橋忠弥)] 
坂の上あたりに丸橋忠弥の槍の道場があって、忠弥が慶安事件で捕えられた場所にも近いということで、この名がつけられた。
 “慶安事件”は、忠弥が由井正雪とともに、慶安4年(1651)江戸幕府の転覆を企てて失敗におわった当時の一大事件であった。
 忠弥の名は、浄瑠璃や歌舞伎の登場人物としても有名である。
都立工芸高等学校と桜蔭中学校・高等学校の間を東から西に下る坂です。結構きつい勾配のある坂です。(13%:11m/88m)

《撮影日:2008年10月12日》

コメント

このブログの人気の投稿

不動(ふどう)坂【六本木3丁目】

場所:東京都港区六本木3丁目 【標識なし】 [由来分類:施設(神社仏閣:五大山不動院)]   五大山不動院の北側を東西に走る坂です 。 西の六本木墓苑側を坂下として東に上る坂です。 少しきつい勾配のある坂です。( 7% :7m/99m) この坂の北側に 丹波谷坂 が並行に走っています。 《撮影日:2009年4月19日》

新(しん)坂[権現坂][S坂]【根津1丁目】

場所:東京都文京区根津1丁目 【標識(文京区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:設置時期(新旧) & 施設(神社仏閣)根津権現]   本郷通りから、根津谷への便を考えてつくられた新しい坂のため、 新坂 と呼んだ。また、根津権現(根津神社の旧称)の表門に下る坂なので 権現坂 ともいわれる。  森鴎外の小説「青年」(明治43年作)に、「純一は権現前の坂の方に向いて歩き出した。・・・右は高等学校(注・旧制第一高等学校)の外囲、左は出来たばかりの会堂(注・教会堂は今もある)で、・・・坂の上に出た。地図では知れないが、割合に幅の広い此坂はSの字をぞんざいに書いたように屈曲してついている。・・・」とある。  旧制第一高等学校の生徒たちが、この小説「青年」を読み、好んでこの坂を S坂 と読んだ。したがって S坂 の名は近く観測楼に住んだ森鴎外の命名である。  根津神社現社殿の造営は宝永3年(1706)である。五代将軍徳川綱吉が、綱豊(六代将軍家宣)を世継ぎとしたとき、その産土神として、団子坂北の元根津から、遷座したものである。 根津神社の南側を走る坂です。 西が坂上で、東の根津神社入口交差点方面に下っていきます。 少しきつい勾配がある坂です。( 7% :12m/180m) 《撮影日:2008年10月12日》 <寄り道で見つけた>👀📸 言問通り(根津1丁目) 旧町名案内(旧根津須賀町) 「言問」という名称は在原業平の詠んだ、 名にし負はば いざこと問はむ都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと という歌に因むが、実際にこの業平の故事があったとされている場所は現在の白髭橋付近にあった「橋場の渡し」でのことであり、言問橋近辺には地名としては存在していたわけではないため、多くの説がある。(言問橋由来より) 根津神社

赤バッケ(あかばっけ)坂

  場所:東京都板橋区赤塚8丁目 【標識なし 】 [由来分類:自然現象]   区立赤塚溜池公園の東向かいの台地は都立赤塚公園になっている。ここに上がるためにコンクリートの階段があるが、昔は赤土そのままの崖の坂であった。 崖は狭(ハケ)と同義語で、このあたりのでは訛ってバッケといわれる。このことから土地の人達は、 赤バッケ坂 と呼んだ。溜池側から眺めると赤い関東ローム層の崖が見える。「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用 坂下側が東京大仏通りになっていて東に上る階段の坂です。赤塚8丁目21番地と22番地の間にあります。 《撮影日:2010年5月5日》