場所:東京都台東区谷中7丁目
【標識(台東区教育委員会設置)の説明】 [由来分類: ]
文政12年(1829)に成立した『御府内備考』には, 「感応寺後と本行寺の間より根津坂本の方へ下る坂なり」とあるが, 「根岸」の誤写の可能性がある。明治5年『東京府志料』には, 長さ15間(約27.3メートル) 幅2間(約3.6メートル)とあるが, 現在の坂の長さは50メートル以上あり, 数値が一致しない。以前は, 谷中への上り口に当たる急坂を「
御殿坂」と呼んだが, 日暮里駅やJRの線路ができた際に消滅したため, その名残である坂の上の部分をこう呼ぶようになったと考えられる。俗に御隠殿(寛永寺輪王寺宮の隠居所)がこの先にあったからといわれるが, 根拠は定かではない。
JR日暮里駅西口を坂下にして、東に上る坂です。坂の勾配は少しきついです。(7%:4m/61m)JR日暮里駅西口がある橋の名が、下御隠殿橋とあるので益々由来が分からなくなりました。《撮影日:2008年9月5日》
《撮影日:2013年3月15日(上京時)》
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