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品川区の坂 雑感

品川区の地形



東京都の約1/3を占める武蔵野台地の東南部の一部と、その東側に位置する低地および埋立地からなっています。
武蔵野台地は10の台地に分かれていますが、品川区は目黒川をはさんで、芝白金台と荏原目黒台に二分され、さらに立会川によって、一部が目黒台と荏原台に分かれています。また、低地は目黒川に沿った大崎や五反田、海岸に近い品川や大井あたりに広がっています。

目黒川に向かって下る坂




台地から下る坂として、
芝白金台台地からは御殿山の坂(9%)
目黒台からは峰原坂(6%)などがあります。
峰原坂
御殿山の坂
 
         

とりわけ都内でも一番の勾配と言われる坂(無名坂(北品川の坂Ⅰ 26%))もこのエリアに存在しています。

都内No.1といわれる急勾配の坂


武蔵野台地東端





武蔵野台地の東端から海側へは、ゼームス坂、木の芽坂、仙台坂(旧仙台坂6%)が下っています。

ゼームス坂
木の芽坂
旧仙台坂
          


旗の台付近




複雑な地形を呈し、八幡坂や鏑木坂(5%)、さいかち坂など無名の坂を含めると多くの坂があります。
八幡坂(小山神社)
さいかち坂
   

武蔵野台地の終焉




武蔵野台地はここで終わり、京浜急行の品川・鮫洲・大森海岸の各駅を結ぶ西側は低地が広がっています。

《参考にさせて頂いた文献(団体名等)》
国土地理院
ジオテック株式会社
品川区

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