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天狗(てんぐ)坂【渋谷区猿楽町】

 


場所:東京都渋谷区猿楽町


【標識(渋谷教育委員会設置)の説明】 [由来分類:所在施設(会社・店舗)] 
岩谷松平(号を天狗、嘉永二年~大正十年1849~1920)は鹿児島川内に生まれました。明治十年に上京し、間もなく銀座に紙巻煙草岩谷天狗堂を設立し、その製品に金煙草、銀煙草などと名前をつけ、「国益の親玉」「驚く勿れ煙草税金三百万円」などの奇抜な宣伝文句で明治の一世を風靡しました。煙草の製造に家内労働を導入するなど当時としては画期的、独創的な工夫をしました。明治三八年(1905)煙草専売が実施されるとこの付近の約四万三千平方メートル(一万三千坪)の土地に日本人の肉食による体質の向上を考えて養豚場等をなど国家的事業に貢献しました。晩年岩谷天狗がこの地に住んだことから、この坂の名が生まれました。
猿楽町5-1のシンエイビルと猿楽町2-11の氷川ビルの間を南東に上る細い坂です。
写真でもわかるように車止めが設置されています。
珍しく渋谷区教育委員会の説明板が設置されていました。
通りからの上りは結構きつくなっています。(写真奥が通りの坂下側)(12%:4m/34m)

《撮影日:2009年1月18日》


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