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★中野区・杉並区の坂道散策★

  今日の坂道散策ルート(名前のある坂名のみ記載) 渋谷区、新宿区に引き続き、中野区まで足を延ばし坂道を散策します。  結果的に中野区・杉並区の坂のほとんどが未訪問となってしまいました。 自宅からの距離が遠いことと、両区へ行く機会(用事・観光)が少なかったので、坂だけで訪問することが億劫になってしまったのでしょう。 ★新宿区の坂道散策Ⅴ★  ➡ ●中野区 中央1丁目  中野坂  ➡ ● 杉並区和田1丁目  十貫坂  ➡ ● 中野区弥生5丁目  東坂  ➡ ●中野区弥生6丁目  駒ヶ坂 ➡ < 東京メトロ丸の内線 方南町駅>     1.移転された 淀橋咳止地蔵尊にお参りし、神田川にかかる淀橋を渡り 中野坂 へ移動。 2.中野坂上交差点を抜け、 鍋屋横丁 から 十貫坂 へ。 鍋横道しるべ 鍋屋横丁由来碑 3.中野富士見町まで移動し、 東坂 ・ 駒ヶ坂 をめぐり地下鉄方南町へ。ここら辺りで、足に違和感を感じ始めたので今日の散歩はここまでにします。     ★中野区・杉並区の坂の位置は こちら で見ることができます★ (2009月7月19日 自身の他ブログ投稿済の記事を修正・再掲)

駒ヶ(こまん)(こまが)坂

  場所:東京都中野区弥生6丁目 【標識なし】 [由来分類:   ] 訪問時は右側の公務員住宅(旧宿舎)を中心に再開 発 中でした。 緩やかな坂です。( 4% :7m/170m) 《撮影日:2009年7月19日》

東(ひがし)坂【弥生5丁目】

  場所:東京都中野区弥生町5丁目 【標識なし】 [由来分類:不明(所在位置?)] 緩やかな勾配の坂です。(2%:5m/280m) 《撮影日:2009年7月19日》

十貫(じっかん)坂

  場所:東京都杉並区和田1丁目 【標識なし】 [由来分類:伝説・言い伝え(不明?)]  (中野・給排水・海老沢愛子記より抜粋) 十貫坂 は、杉並区和田1丁目から中野通りへ向かう100メートル余りの上り坂を『 十貫坂』 と呼んでいてその坂を上ると『十貫坂上』で中野通りと交差する地点を渡ったところが、鍋屋横丁です。  この坂の由来については、いろいろな中野長者伝説があります。18世紀半ば、村のわきの畑のあぜから壷に入った古銭十貫文が掘り出され、これを坂の名前にした。『成願寺縁起』によると、長者がこの坂の上から見渡す限りの土地を十貫文で買った。他にも財宝を埋めた。などの由来があります。  以前からひったくり等が多発する場所で現在も注意の看板があります。 坂の勾配は緩やかです。(5%:5m/110m) 《撮影日:2009年7月19日》 <坂の途中で>👀📸                 民間信仰石塔(十貫坂地蔵堂)                   ここに建立されている石塔は、元禄5年(1692)銘・正徳2年(1712)銘の庚申塔、享保2年(1717)銘の地蔵塔、建立不明の庚申塔1基と、地蔵塔2基の計6基があります。  庚申信仰は、「長生きするためには庚申の夜は身を慎しみ、諸善を行い、徹夜をすべきである」という中国の道教説から始まったようです。それが日本に伝わってからは、中世以降仏教や神道の信仰と習合して庶民の間にひろまりました。  江戸時代には、本尊を青面金剛とし、不見、不聞、不言の三猿が彫られるようになり、ここに見られるような庚申塔の建立が盛んになりました。  地蔵菩薩の信仰は、仏教の民衆化とともに宗派を超えてひろまりました。地蔵菩薩は、冥界と現実界の境に立って人々を守護するということから、村や道の境や村の安全を守護する菩薩とされ、村の路傍又は辻に多くの建立されています。  ここの石塔は、この辺りが武州多摩郡和田村字本村、又は砂利田と称された頃、この地域の講中の人々によって悪病退散、村民安全などを祈願して建立されたものといわれてます。  現在でもこの信仰の気持ちは変わらず、参拝に来る人も年々増えているとのことです。  私たちもこのような文化財を、一層大切に守りつづけたいものです。    昭和55年2月20日

無名坂(弥生町5丁目の坂Ⅲ)

  場所:東京都中野区弥生町5丁目 弥生町5丁目6番地と9番地の間を走る坂です。 坂下は 東坂 の坂の途中に出会います。 少し左に曲がりながら 西から東に 上る坂です。 写真では滑り止めが施されています。 少しきつい勾配のある坂です。( 8 % :7m/84m) 《撮影日:2009年7月19日》

無名坂(弥生町5丁目の坂Ⅱ)

  場所:東京都中野区弥生町5丁目 弥生町5丁目9番地と15番地の間を走る坂です。 坂下は 東坂 の坂下と同じ交差点になります。 少し右に曲がりながら 西から東に 上る坂です。 少しきつい勾配のある坂です。( 9% :7m/82m) 《撮影日:2009年7月19日》

無名坂(弥生町5丁目の坂Ⅰ)

  場所:東京都中野区弥生町5丁目 弥生町5丁目15番地と22,23番地の間を走る坂です。 西から東に上る坂です。 結構きつい勾配のある坂です。( 10% :8m/81m) 《撮影日:2009年7月19日》

無名坂(中野通りの坂)【本町4丁目】

  場所:東京都中野区本町4丁目 十貫坂 上交差点から中野通りを南下する坂道です。 緩やかな勾配の坂です。(4%:5m/130m) 《撮影日:2009年7月19日》

中野(なかの)坂

  場所:東京都中野区新宿8丁目 【標識(東京都設置)の説明】 [由来分類:所在位置(武蔵野の中央)]   中野の名称については、江戸名所図会などに、武蔵野の中央にあることから、「中野」と呼ばれるようになったことが記されている。青梅街道のこの辺りは、江戸の頃から堀の内のお祖師さまとして知られる妙法寺への参詣者の通り道としても賑わっていた。坂上には、「弁慶」という菓子店と「大団子」と称する団子屋があり、「弁慶」の水飴と「大団子」のつけ焼団子は、当時中野の名物として知られ、堀の内祖師がえりの土産として好評を博した。 青梅街道を走る大きな坂です。 緩やかな勾配の坂です。(3%:8m/300m) 《撮影日:2009年7月19日》