場所:東京都北区上中里1丁目
【標識(北区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:植物(モチの木)]
ここは坂の坂上に位置し、崕雪頽(がけなだれ)という急斜面を蛇行して下る坂道の跡がわずかに残されている場所です。坂は上駒込村から上尾久村方面へと向う上尾久村道の途中に位置していました。鉄道が通るようになると坂下には踏切が造られ、大正時代の末から昭和の初期には跨線橋がつくられるにいたりました。モチの木が坂上にあったといわれ、明治十年代の『東京府誌・村誌』にはモチ坂とありますが、この名称は後にはあまり使われなくなっていったようです。
【標識(北区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:植物(モチの木)]
ここは坂の坂上に位置し、崕雪頽(がけなだれ)という急斜面を蛇行して下る坂道の跡がわずかに残されている場所です。坂は上駒込村から上尾久村方面へと向う上尾久村道の途中に位置していました。鉄道が通るようになると坂下には踏切が造られ、大正時代の末から昭和の初期には跨線橋がつくられるにいたりました。モチの木が坂上にあったといわれ、明治十年代の『東京府誌・村誌』にはモチ坂とありますが、この名称は後にはあまり使われなくなっていったようです。
上中里1丁目7番地のJR線側の崖淵に標識だけが残されています。
北区HP(飛鳥山博物館)でも
かつて坂道が存在したところは、鉄道敷設部分にあたり、現在ではその様子を見ることができません。
とあります。坂があったことの印だけでもあるのがありがたかったです。
《撮影日:2009年7月4日》
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