スキップしてメイン コンテンツに移動

王子大(おうじおお)坂[地蔵坂][宇都布坂][うつり坂]

 


場所:東京都北区王子本町1丁目

【標識(北区教育委員会設置)による説明】 [由来分類:形状(大きさ)] 
飛鳥山(あすかやま)に沿って東におりた岩槻街道(いわつきかいどう)は、石神井川(しゃくじいがわ)を渡って左に曲がり、現在の森下通りを抜け、三本杉橋の石の親柱(おやばしら)の位置から北西に台地を登る。この坂が王子大坂である。岩槻街道は江戸時代、徳川将軍の日光社参の道で日光御成道と呼ばれた。登り口に子育地蔵(こそだてじぞう)があったので地蔵坂とも呼ばれ、昔は縁日(えんにち)でにぎわった。また、坂の地形が、海鳥の善知鳥(うとう)の嘴(くちばし)のようなので「うとう坂」の名もある。
権現坂と坂下を同じくして東から西へ上る坂です。王子本町1丁目25番地と28,26番地の間を上ります。少しきつい勾配のある坂です。(6%:14m/220m)岩槻街道が幹線道路で他と比べて大きいから大坂となったとか・・。

《撮影日:2008年10月9日》

コメント

このブログの人気の投稿

山王(さんのう)坂[鹿島坂]

場所:東京都千代田区永田町2丁目 【標識(千代田区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:施設(神社仏閣:山王社)] この坂を 山王坂 といいます。この坂のあたり明治維新まではほとんどが山王社(日枝神社)の社地であり、社前に下る坂なのでこの名がつけられてのでしょう。また一名 鹿島坂 と呼ばれていますが、坂の近くに明治時代の豪商鹿島清兵衛の邸宅があったのでそのようによばれたといいます。 永田町二丁目衆議院第一議員会館と第二議員会館の間を 日枝神社(山王社)前に下る 坂です。この坂の辺りは、明治維新まではほとんど山王社の社地でしたから、この名で呼ばれたのでしょう。また、坂の近くに明治時代の豪商鹿島清兵衛の屋敷があったので 鹿島坂 とも呼ばれました。(千代田区HPより引用) 衆議院会館前から山王日枝神社側に少しきつい勾配で下っています。( 8% :17m/210m) 《撮影日:2008年12月28日》 <坂の途中で>👀📸 赤坂山王散歩石標

稲荷(いなり)の坂

  場所:東京都北区赤羽北1丁目 【標識(北区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:施設(神社仏閣:稲荷社)]   この坂道は、赤羽北1-3、4地先から赤羽台4丁目公園付近まで続きます。 道筋としては赤羽根付村と岩淵宿の境付近で日光御成道(岩槻街道)と別れ、袋村を経て小豆沢村へと向かう鎌倉道でもありました。昔は坂を登りきると正面に富士山を望むことができたそうです。坂の名称は特にありませんでしたが坂の途中にある稲荷社にちなんで 稲荷の坂 とよばれるようになりました。 北区立赤羽北保育園&赤羽北児童遊園と星美学園幼稚園の間を西に上る坂です。少しきつい勾配のある坂です。( 6% :10m/170m) 《撮影日:2009年2月8日》

壱岐(いき)坂

場所:東京都文京区本郷1丁目 【標識(文京区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:施設(屋敷・邸宅)彦坂壱岐守屋敷]   「 壱岐坂 は御弓町へのぼる坂なり。彦坂壱岐守屋敷ありしゆへの名なりといふ。按に元和年中(1615~1623)のほんごうの図を見るに、此の坂の右の方に小笠原壱岐守下屋敷ありて吉祥寺に隣れり。おそらくは此小笠原よりおこりし名なるべし。」(改撰江戸志)  御弓町については「慶長・元和の頃御弓同心組屋敷となる。」とある。(旧事茗話) 都営三田線水道橋駅A6出口を坂下に、東に上る坂です。 壱岐坂交番前交差点(壱岐坂通り)で 新壱岐坂 と交差します。 新壱岐坂が大きな壱岐坂通りとなっており、壱岐坂上や壱岐坂通り、白山通りの壱岐坂下の名前がすべて 新壱岐坂 を表すものとなっているようです。 昔はこの坂がメインストリートだったのでしょう。 勾配は緩やかな坂です。(4%:13m/300m) 《撮影日:2008年10月12日》