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八幡(やわた)坂

 


場所:東京都北区赤羽台3丁目

【坂標(北区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:旧地名(八幡谷)]
板橋街道は宝幢院前で岩槻街道(日光御成道)と分かれ中山道に至る道ですが、大正8年、旧陸軍被服本廠が赤羽台に移転してきて、道の一部が敷地内に入ったので、 一般の通行のため、同廠北側に設けられたのがこの坂道です。八幡坂の名はこの北にある八幡谷(やわただに)に因んだ地元の呼称で、それが定着したものです。
北区立八幡小学校の南側を東から南西の方向に走る坂です。赤羽台3丁目8,18番地と4,7番地の間にあります。八幡と書いて”はちまん”という八幡神社に因んだ坂は都内でも多くありますが、”やわた”と読む坂はここだけのようです。坂の南東側は東洋大学情報連携部(元は北区立赤羽台中学校)です。緩やかな勾配のバス通りの坂です。(5%:11m/230m)

《撮影日:2007年5月20日》

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