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三平(さんぺい)坂

 


場所:東京都北区岸町1丁目

【標識(北区教育委員会設置)による説明】 [由来分類:旧地名(三平村)]
名主の滝公園(なぬしのたきこうえん)の北側に沿って西へ昇り、岩槻街道(いわつきみち)へ出るかなりの急坂です。昔の三平村という地名からこの名が付きました。台地の農家が使っていた水田への通路だったものです。
北区立名主の滝公園の北側を北東方向から南西方向に上る坂です。相当きつい勾配のある坂で滑り止めが施されています。(12%:15m/130m)

《撮影日:2008年10月9日》

<坂の途中で>👀📸


名主の滝公園(北区HP飛鳥山博物館より抜粋)
江戸時代の安政年間(1854~1860)に王子村の名主「畑野孫八」が自邸に開いたのが始まりで、“名主の滝”の名前の由来もここから来ました。庭園として整備されたのは、明治の中頃で、垣内徳三郎という人の所有になってからでした。昭和13年には、株式会社精養軒が買収し、食堂やプールなどが作られ公開され続けてきましたが、昭和20年4月の空襲により焼失し、ようやく東京都によって再公開されるようになったのは昭和35年11月でした。


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