スキップしてメイン コンテンツに移動

夕やけだんだん

 




場所:東京都荒川区西日暮里3丁目

【木製標識のみ】
 JR日暮里駅の北口を出て、緩やかに上る御殿坂を歩いて行くと、買い物客で賑わう谷中銀座商店街に通じる「夕やけだんだん」と呼ばれる階段があります。
この「夕やけだんだん」という一風変わった名称は、一般公募によって命名されました。
名前のとおり、この階段からは美しい夕焼けを眺めることができます。
「夕やけだんだん」の下に広がる商店街の明かりやそこに集まる人々。
どこか懐かしい気持ちにしてくれます。(荒川区HPより引用)

上4枚の写真は在京時分に、下二枚は上京時に撮影したものです。だんだん自体は変わっていないのでしょうが、周り(谷中ぎんざ含めて)は結構様変わりしているのでしょうか。松野屋さんで薬缶を買ったり、翠屋さんで竹のはしを買った思い出があります。
坂の印象としては幅広い階段だと思いますが、夕焼け時刻に訪れていないのが唯一残念です。

《撮影日:2008年9月5日》
《撮影日:2011年2月13日》
《撮影日:2013年3月15日》(上京時)

<寄り道で見つけた>👀📸


満満堂(西日暮里3丁目)
何を食べたか、何を飲んだのか記憶にありません
竹工芸 翠屋(西日暮里3丁目)
竹製のはしを頂きました










コメント

このブログの人気の投稿

山王(さんのう)坂[鹿島坂]

場所:東京都千代田区永田町2丁目 【標識(千代田区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:施設(神社仏閣:山王社)] この坂を 山王坂 といいます。この坂のあたり明治維新まではほとんどが山王社(日枝神社)の社地であり、社前に下る坂なのでこの名がつけられてのでしょう。また一名 鹿島坂 と呼ばれていますが、坂の近くに明治時代の豪商鹿島清兵衛の邸宅があったのでそのようによばれたといいます。 永田町二丁目衆議院第一議員会館と第二議員会館の間を 日枝神社(山王社)前に下る 坂です。この坂の辺りは、明治維新まではほとんど山王社の社地でしたから、この名で呼ばれたのでしょう。また、坂の近くに明治時代の豪商鹿島清兵衛の屋敷があったので 鹿島坂 とも呼ばれました。(千代田区HPより引用) 衆議院会館前から山王日枝神社側に少しきつい勾配で下っています。( 8% :17m/210m) 《撮影日:2008年12月28日》 <坂の途中で>👀📸 赤坂山王散歩石標

稲荷(いなり)の坂

  場所:東京都北区赤羽北1丁目 【標識(北区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:施設(神社仏閣:稲荷社)]   この坂道は、赤羽北1-3、4地先から赤羽台4丁目公園付近まで続きます。 道筋としては赤羽根付村と岩淵宿の境付近で日光御成道(岩槻街道)と別れ、袋村を経て小豆沢村へと向かう鎌倉道でもありました。昔は坂を登りきると正面に富士山を望むことができたそうです。坂の名称は特にありませんでしたが坂の途中にある稲荷社にちなんで 稲荷の坂 とよばれるようになりました。 北区立赤羽北保育園&赤羽北児童遊園と星美学園幼稚園の間を西に上る坂です。少しきつい勾配のある坂です。( 6% :10m/170m) 《撮影日:2009年2月8日》

壱岐(いき)坂

場所:東京都文京区本郷1丁目 【標識(文京区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:施設(屋敷・邸宅)彦坂壱岐守屋敷]   「 壱岐坂 は御弓町へのぼる坂なり。彦坂壱岐守屋敷ありしゆへの名なりといふ。按に元和年中(1615~1623)のほんごうの図を見るに、此の坂の右の方に小笠原壱岐守下屋敷ありて吉祥寺に隣れり。おそらくは此小笠原よりおこりし名なるべし。」(改撰江戸志)  御弓町については「慶長・元和の頃御弓同心組屋敷となる。」とある。(旧事茗話) 都営三田線水道橋駅A6出口を坂下に、東に上る坂です。 壱岐坂交番前交差点(壱岐坂通り)で 新壱岐坂 と交差します。 新壱岐坂が大きな壱岐坂通りとなっており、壱岐坂上や壱岐坂通り、白山通りの壱岐坂下の名前がすべて 新壱岐坂 を表すものとなっているようです。 昔はこの坂がメインストリートだったのでしょう。 勾配は緩やかな坂です。(4%:13m/300m) 《撮影日:2008年10月12日》