場所:東京都板橋区徳丸6丁目
【標識なし】 [由来分類:施設名(神社仏閣:北野天神)]
この坂は、宮坂とも呼ばれている。旧小字東と高山の境にあって宮下から北野神社への参堂である。昔は赤土の崖で急坂なので上り下りに大変な難儀をしたという。
坂の下には、文久2年(1862年)の「天満宮 これより二丁」と彫られた道標が立っていた。 「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用
坂の下には、文久2年(1862年)の「天満宮 これより二丁」と彫られた道標が立っていた。 「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)より引用
《撮影日:2009年8月16日》
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