場所:東京都千代田区五番町
【標識(千代田区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:設置時期]
この坂を新坂といいます。新しく作られた坂ということでしょう。江戸時代の地図をみますと、ここに道はなく、人々は東側の帯坂や西側の三年坂へ迂回しなければなりませんでした。しかし、明治23年(1890)3月の「東京市区改正全図」には三等道路として、この道を通す計画が書き込まれています。大正元年(1912)の「東京市麹町区地籍地図」では、この道を地図上で確認できます。
JR市ヶ谷駅から南に五番町を上る坂です。「日本テレビ通り」の北の入り口になります。この通りは、明治中頃の道路計画に含まれていたのですが、工事が遅れ、明治末年になってやっと実現しました。住民の待ち遠しかった気持ちが坂の名に表れているようです。(千代田区HPより引用)二七通りから都営新宿線市ヶ谷駅方面へ下る坂で、勾配の少しきつい坂です。(6%:10m/180m)
《撮影日:2008年12月28日》
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