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明神男(みょうじんおとこ)坂[明神石坂]

坂下より



場所:東京都千代田区外神田2丁目

【標識(千代田区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:施設(神社仏閣)・形状・地形(勾配)]  
この坂明神男坂といいます。明神石坂とも呼ばれます。「神田文化史」には「天保の初年当時かんだの町火消「い」「よ」「は」「萬」の四組が石坂を明神へ献納した」と男坂の由来が記されています。この坂の脇にあった大銀杏は、安房上総辺から江戸へやってくる漁船の目標となったという話や、坂からの眺めが良いため毎年一月と七月の二六日に夜待ち(観月)が行われたことでも有名です。
神田神社の境内にある明神会館のわきから、東に下る石段の坂です。天保の頃、最初に作られたと伝えられています。「明神石坂」の別名もあります。(千代田区HPより引用)

男坂なので勿論のことですが、急な石段坂になっています。

《撮影日:2008年7月2日》
《撮影日:2011年1月4日》

<寄り道で見つけた>👀📸



神田明神
正式名称・神田神社。東京の中心―神田、日本橋、秋葉原、大手丸の内、旧神田市場、築地魚市場―、108町会の総氏神様です。「明神さま」の名で親しまれております。


一之宮 大己貴命(おおなむちのみこと)だいこく様。縁結びの神様。天平2年(730)ご鎮座。国土開発、殖産、医薬・医療に大きな力を発揮され、国土経営、夫婦和合、縁結びの神様として崇敬されています。また祖霊のいらっしゃる世界・幽冥(かくりよ)を守護する神とも言われています。大国主命(おおくにぬしのみこと)という別名もお持ちで、島根県の古社・出雲大社のご祭神でもございます。れ、国土経営・夫婦和合・縁結びの神様としてのご神徳があります。二之宮 少彦名命(すくなひこなのみこと)えびす様。商売繁昌の神様。商売繁昌、医薬健康、開運招福の神様です。日本に最初にお生まれになった神様のお一人・高皇産霊神(たかみむすひのかみ)のお子様で、大海の彼方・常世(とこよ)の国よりいらっしゃり、手のひらに乗るほどの小さなお姿ながら知恵に優れ、だいこく様とともに日本の国づくりをなされました。三之宮 平将門命(たいらのまさかどのみこと)まさかど様。除災厄除の神様。延慶2年(1309)にご奉祀。平将門公は、承平・天慶年間、武士の先駆け「兵(つわもの)」として、関東の政治改革をはかり、命をかけて民衆たちを守ったお方です。明治7年(1874)に一時、摂社・将門神社に遷座されましたが、昭和59年に再びご本殿に奉祀され今日にいたっております。東京都千代田区大手町・将門塚(東京都指定文化財)には将門公の御首をお祀りしております。(出典:     )

商売繁盛の神から 正月の参拝客で賑わう神田明神









神田明神隋神門


国学発祥の碑


蔵前橋通りの標識


神田同朋町の説明板


コメント

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坂の魅力に取りつかれたのは 

 東京23区の坂の散策を始めるきっかけとなったのは、東京都北区にある大坂です。  当時の習い事の教室が埼玉県川口市だったので、JR赤羽駅から京浜東北線でJR川口駅まで通っていました。  自宅のある板橋区小豆沢(あずさわ)からJR赤羽駅までは国際興業バスを使う方法も勿論あるのですが、健康と経費削減のため往復徒歩で通っておりました。(片道30分弱)  歩けば色々な景色が見えてきます。 そんな中出逢ったのが「 大坂 」です。 赤羽台の団地からJR赤羽駅に降りる坂がこの大坂でした。 坂下には立派な北区教育委員会が設置した標識が立っていました。 余談ですが当時は坂下にモスバーガーのお店がありました。(2009年当時のストリートビュー)  坂一つにも名前が付けられていて、その由来も書かれている・・今までも、東京は坂の多い街だということは薄々気づいてはいましたが、この標識と出会ったおかげで俄然本気で調べてみよう、歩いてみようと思い立ったのです。 2012年に会社を退職するのを機に東京を離れる決心はついていましたので、残り5年間で歩けるだけ歩いてみようと決めたそんな坂との出会いでした。 坂の位置はGoogle mapに表示されるようにしておりますが、詳細番地を入力しても区域の中心を示してしまい、坂の位置とは異なってきます。ご了承くださいませ。詳細の場所については、各区の散策ルートにある坂の場所をクリックしてご覧ください♪ Google mapのストリートビューでは昔のビューを見ることができます。(私が見たのは2009年当時のビューです。当時の様子を見ることができてとても便利な機能だと思います)  2022年3月14日で旧のブログからの移行を完了しました。移行する中で残念だったことは、練馬区および杉並区をほぼ歩いていないことでした。東京を離れた今となっては訪問は難しく、他の方のブログを拝見することで歩いた気分に浸るのがせめてもの方法となりました。  坂の坂上と坂下の把握についてはおおよそ個人的な見解が入り、お叱りを受けることもあるかと思いますが、個人が作成した程度のブログであるとご容赦下さいませ。

大田区の坂 雑感

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