スキップしてメイン コンテンツに移動

山王男(さんのうおとこ)坂

 

    

場所:東京都千代田区永田町2丁目

【標識(千代田区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:施設(神社仏閣)・形状・地形(勾配)]
この坂を山王男坂といいます。日枝神社の表参道。左側のゆるやかな坂「女坂」に対して名づけられています。二つの坂を比較して急な坂を男坂、ゆるやかな坂を女坂と呼ぶことは各地にみられます。石段の数五十三。山王の地は又の名称を星が岡ともいう景勝の地でありました。
永田町二丁目の日枝神社の表参道で、正面の鳥居から五十三段の石段を上る坂です。日枝神社は元は日吉山王大権現といい、太田道灌が川越から江戸城内に勧請し、江戸鎮守の神として祀り、徳川家康が入府してからは将軍家の産土神として崇敬されて来ました。しかし、慶長年中(1604-1614)の江戸城改築にともない半蔵門外に移り、明暦3年の大火で焼失し、万治2年に現在地に再建されました。太平洋戦争で再び戦火を被り、10年にわたる歳月を経て昭和33年に復興しました。日枝神社のある山王台地は、「星が岡」ともいわれ、溜池を臨む景勝の地でもありました。(千代田区HPより引用)
《撮影日:2008年12月28日》
《撮影日:2010年1月10日》



<坂の途中で>👀📸


山王日枝神社

参道

稲荷参道









日枝神社は江戸の裏鬼門(南西方向)を守護する位置に徳川幕府が配置した神社です。先日のBS放送でも紹介されていました。江戸城を結んで表鬼門である北東には神田明神があります。

コメント

このブログの人気の投稿

不動(ふどう)坂【六本木3丁目】

場所:東京都港区六本木3丁目 【標識なし】 [由来分類:施設(神社仏閣:五大山不動院)]   五大山不動院の北側を東西に走る坂です 。 西の六本木墓苑側を坂下として東に上る坂です。 少しきつい勾配のある坂です。( 7% :7m/99m) この坂の北側に 丹波谷坂 が並行に走っています。 《撮影日:2009年4月19日》

無名坂(靖国通り横の坂)【富久町】

場所:東京都新宿区富久町 白鳥山善慶寺横の坂です。 坂上の折れ曲がるところが、東洋美術学校です。 結構きつい勾配のある坂です。( 10% :6m/59m) 《撮影日:2008年11月29日》

樹木谷(じゅもくだに)坂[地獄谷坂]

場所:東京都文京区湯島1丁目 【標識(文京区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:植物]   地獄谷坂 とも呼ばれている。この坂は、東京医科歯科大学の北側の裏門から、本郷通りを越えて、湯島1丁目7番の東横の路を北へ、 新妻恋坂 まで下る坂である、そして、 新妻恋坂 をはさんで 、 横見坂 に対している。  「御府内備考」には、「樹木谷3丁目の横小路をいふ」とある。尭恵法印の「北国紀行」のなかに「文明19年(1487)正月の末、武蔵野の東の界・・・ならびに湯島といふ所あり。古松遥かにめぐりて、しめの内に武蔵野々遠望かけたるに、寒村の道すがら野梅盛に薫ず」とある。天神ゆかりの梅の花が咲く湯島神社の周辺のようすである。  徳川家康が江戸入府した当時は、この坂下一帯の谷は、樹木が繁茂していた。その樹木谷に通ずる坂ということで、樹木谷の名が生まれた。   地獄谷坂 と呼ばれたのは、その音の訛りである。  なお、湯島1丁目の地に、明治14年(1881)渡辺辰五郎(千葉県長南町出身)が近代的女子技術教育の理想をめざし、和洋裁縫伝習所を創設した。その後、伝習所は現東京家政大学へ発展した。 中山道から蔵前橋通りへ下る坂です。 少しきつい勾配のある坂です。( 6% :4m/67m) 《撮影日:2008年10月12日》 《撮影日:2011年1月4日》