場所:東京都千代田区神田駿河台4丁目
【標識(千代田区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:所在位置(くらがり)]
この坂を 幽霊坂といいます。もとは紅梅坂と続いていましたが、大正13年(1924)の区画整理の際、本郷通りができたため二つに分かれた坂になりました。「東京名所図会」には、「紅梅坂は」「往時樹木陰鬱にして、昼尚凄寂たりしを以って俗に幽霊坂と唱えたりしを、今は改めて紅梅坂と称す」とかかれています。また古くは光感寺坂とも埃坂などとも呼ばれていたこともあるようですが、一般には幽霊坂の名でとおっています。
旧日立製作所跡地の南側を、「本郷通り」から「外堀通り」の方向に下る坂です。由来ははっきりしませんが、坂の両側は大木が繁って、人通りも少なく、淋しい道であったので、俗に幽霊坂と呼ばれました。(千代田区HPより引用)
本郷通りから外堀通りまでだと210mくらいありますので、全体としての勾配は緩やかになりますが(4%:9m/210m)、本郷通りの標識から100mくらいが結構な勾配となっていました。
《撮影日:2008年7月2日》
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