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牛(うし)坂[潮見坂][蛎殻坂][鮫干坂]【春日1丁目】


場所:東京都文京区春日1丁目

【標識(文京区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:施設(神社仏閣)北野神社] 
北野神社(牛天神)の北側の坂で、古くは潮見坂・蛎殻坂・鮫干坂など海に関連する坂名でも呼ばれていた。中世は、今の大曲あたりまで入江であったと考えられる。
 牛坂とは、牛天神の境内に牛石と呼ばれる大石があり、それが坂名の由来となったといわれる。(牛石はもと牛坂下にあった)
 『江戸志』に、源頼朝の東国経営のとき、小石川の入江に舟をとめ、老松につないでなぎを待つ。その間、夢に菅中(菅原道真)が、牛に乗り衣冠を正して現われ、ふしぎなお告げをした。夢さめると牛に似た石があった。牛石これなりとある。


安藤坂の東の牛天神北野神社の北側を走る坂です。結構きつい勾配のある坂です。(14%:9m/66m)

《撮影日:2009年7月4日》


<坂の途中で>👀📸



牛天神北野神社へ参拝

最後の写真は北野神社男坂です。



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