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開運(かいうん)坂


 場所:東京都文京区大塚5丁目

【標識(文京区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:maybe 伝説/言い伝え]   
坂名の由来については、よくわからないが、運を開く吉兆を意味するめでたい名をつけたものであろう。  このあたりは、富士見坂(大塚3丁目の交差点から護国寺前)の下であるところから、旧町名を大塚坂下町といった。それでこの坂の下の道を坂下通りとも呼んでいる。
 坂の上の南側には、五代将軍徳川綱吉の生母桂昌院の願いで建てられた護国寺がある。護国寺の東側には、明治6年(1873)に開かれた豊島岡墓地(皇族墓地)がある。
 豊島岡墓地の東側は大塚先儒墓所である。江戸時代の高名な儒学者である、木下順庵、室鳩巣、尾藤二州や古賀精里などの墓がある。
 ”護国寺に住みている鳩 屋根はなれ
   高く飛びおり 春日の空に”
               窪田空穂(1877-1967)
大塚警察署大塚6丁目交番のある開運坂下交差点を坂下に南西に上る坂です。結構きつい勾配のある坂です。(10%:8m/83m)

《撮影日:2009年7月4日》

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