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湯立(ゆだて)坂





場所:東京都文京区小石川5丁目

【標識(文京区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:所在位置(川へ)]  

「里人の説に往古はこの坂の下は大河の入江にて氷川の明神へは河を隔てて渡ることを得ず。故に此所の氏子ども此坂にて湯花を奉りしより坂の名となれり。」(江戸志)
 武蔵風土記には、このあたりのことを簸川原とあり、アユ、ウナギそしてセリなどのとれる所としている。事実小石河(千川とも後年云う)が流れていた。
  我方を 思ひゆかめて 小石河
   いづこを瀬とか こひ渡るらむ
    道興准后「廻国雑記」(文明18年(1484)6月より3月までの北陸、関東、奥州諸国の遊歴見記)より。
筑波大学東京キャンパス(大塚3丁目)の南側を走る坂です。南西から北東へ下る坂で、緩やかな勾配の坂です。(5%:10m/200m)

《撮影日:2008年10月12日》

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