場所:東京都文京区本郷1丁目
【標識(文京区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:所在施設(湧き水:お茶の水)]
この神田川の外堀工事は元和年間(1615-1626)に行われた。それ以前に、ここにあった高林寺(現向丘二丁目)の境内に湧き水があり“お茶の水”として将軍に献上したことから、「お茶の水」の地名がおこった。
『御府内備考』によれば「御茶ノ水は聖堂の西にあり、この井名水にして御茶ノ水に召し上げられしと・・・」とある。
この坂は神田川(仙台掘)に沿って、お茶の水の上の坂で「お茶の水坂」という。坂の下の神田川に、かって神田上水の大樋(水道橋)が懸けられていたが、明治34年(1901)取りはずされた。
お茶の水橋低きに見ゆる水のいろ
寒む夜はふけてわれは行くなり
島木赤彦(1876-1926)
水道橋から神田川沿いに外堀通りを東に上る坂です。勾配は緩やかな坂です。(4%:11m/290m)『御府内備考』によれば「御茶ノ水は聖堂の西にあり、この井名水にして御茶ノ水に召し上げられしと・・・」とある。
この坂は神田川(仙台掘)に沿って、お茶の水の上の坂で「お茶の水坂」という。坂の下の神田川に、かって神田上水の大樋(水道橋)が懸けられていたが、明治34年(1901)取りはずされた。
お茶の水橋低きに見ゆる水のいろ
寒む夜はふけてわれは行くなり
島木赤彦(1876-1926)
《撮影日:2008年10月12日》
《撮影日:2009年4月2日》
<坂の途中で>👀📸
元町公園 2009年訪問時には桜が満開でした |
坂の起点の水道橋 |
神田上水掛樋跡の石標 |
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