場所:東京都文京区湯島3丁目
【標識(文京区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:所在位置(中間)]
「御府内備考」に、「
中坂は妻恋坂と天神石坂との間なれば呼び名とすといふ」とある。
江戸時代には、二つの坂の中間に新しい坂ができると中坂と名づけた、したがって中坂は二つの坂より後にできた新しい坂ということになる。
また、「新撰東京名所図会」には、「中坂は、天神町1町目4番地と54番地の間にあり、下谷区へ下る急坂なり、中腹に車止めあり」とあり、車の通行が禁止され歩行者専用であった。
このあたりは、江戸時代から、湯島天神(神社)の門前町として発達した盛り場で、かつては置屋・待合などが多かった。
まゐり来てとみにあかるき世なりけり
町屋の人のその人の顔かお (釈 迢空)
中坂は妻恋坂と切通坂との間にある坂です。切通坂は新しい坂なので、天神石坂との間となっていたのかもしれません。いずれも神田白山線に流れ込むように下っています。少しきつい勾配のある坂です。(8%:14m/180m)江戸時代には、二つの坂の中間に新しい坂ができると中坂と名づけた、したがって中坂は二つの坂より後にできた新しい坂ということになる。
また、「新撰東京名所図会」には、「中坂は、天神町1町目4番地と54番地の間にあり、下谷区へ下る急坂なり、中腹に車止めあり」とあり、車の通行が禁止され歩行者専用であった。
このあたりは、江戸時代から、湯島天神(神社)の門前町として発達した盛り場で、かつては置屋・待合などが多かった。
まゐり来てとみにあかるき世なりけり
町屋の人のその人の顔かお (釈 迢空)
《撮影日:2008年10月12日》
《撮影日:2011年1月4日》
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