場所:東京都文京区湯島2丁目
【標識(文京区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:職業(傘つくり)]
傘谷をはさんで、向き合う二つの坂をいう。改選江戸志という書物によると、傘谷は、金助町(旧町名)の北の方にあって、傘づくりの職人が多く住んでいた窪地である。それで
傘谷、傘坂の名がついた。 金助町に生まれた歌人・岡麓は、大正12年の大震災で家が焼け、その焼け跡で、
“あさはかに 家居移しし 悔心
このやけあとに 立ちて嘆かゆ”
湯島2丁目から一旦南(傘谷)に下り、日本サッカーミュージアムの東側をまた南に上る坂です。通りはサッカー通りという名前です。勾配はそれぞれに緩やかです。(3%:4m/130m)“あさはかに 家居移しし 悔心
このやけあとに 立ちて嘆かゆ”
《撮影日:2008年10月12日》
《撮影日:2011年1月4日》
<坂の途中で>👀📸
日本サッカーミュージアム
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