場所:東京都文京区本郷4丁目
【標識(文京区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:職業(炭団)、形状・地形(勾配)、形状・地形(湿地)]
本郷台地から
菊坂の谷へと下る急な坂である。名前の由来は「ここは炭団などを商売にする者が多かった」とか「切り立った急な坂で転び落ちた者がいた」ということからつけられたといわれている。
台地の北側の斜面を下る坂のためにじめじめしていた。今のように階段や手すりがないことは、特に雨上がりには炭団のように転び落ち泥だらけになってしまったことであろう。
この坂を上りつめた右側の崖の上に、坪内逍遥が明治17年(1884)から20年(1887)まで住み、「小説神髄」や「当世書生気質」を発表した。
坪内逍遥旧居・常磐会跡の東を北から南に上る坂です。写真のように急坂のため、階段状に整備されています。(25%:7m/28m)標識の説明にもあるように、急だったため転んで泥だらけになることもしばしばあったと思われます。台地の北側の斜面を下る坂のためにじめじめしていた。今のように階段や手すりがないことは、特に雨上がりには炭団のように転び落ち泥だらけになってしまったことであろう。
この坂を上りつめた右側の崖の上に、坪内逍遥が明治17年(1884)から20年(1887)まで住み、「小説神髄」や「当世書生気質」を発表した。
《撮影日:2008年10月12日》
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