場所:東京都台東区谷中5丁目
【標識(台東区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:旧地名]
『御府内備考』に、「
三崎坂」の名が記されている。『御府内備考』は江戸の地誌。文政12年(1829)完成である。名称は付近の地名にちなむ。『江戸名所図誌』に「三崎坂 俗に首ふり坂という。三十年ばかり前、首をふる僧此坂にありしゆえ呼びならばせしなり。」と記している。これに基づくと、三崎坂は別名『首ふり坂』とも呼ばれた。
全生庵の南側を西から東に緩やかに上る坂です。(5%:11m/230m)《撮影日:2008年10月9日》
《撮影日:2011年2月13日》
<坂の途中で>👀📸
全生庵は山岡鉄舟居士が徳川幕末・明治維新の際、国事に殉じた人々の菩提を弔うために明治十六年に建立した。尚、居士との因縁で落語家の三遊亭円朝の墓所があり円朝遣愛の幽霊画五十幅 明治大正名筆の観音画百幅が所蔵されている。
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