場所:東京都文京区目白台2丁目
【標識(文京区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:所在位置(くらがり) 、 伝説・言い伝え]
江戸時代、坂の東側は松平出羽守の広い下屋敷であったが、維新後上地され国の所有となった。現在の筑波大学付属盲学校一帯にあたる。また、西側には広い矢場があった。当時は大名屋敷と矢場に挟まれた淋しい所であったと思われる。
やかん坂のやかんとは、野カンとも射干とも書く。犬や狐のことをいう。野犬や狐の出るような淋しい坂道であったのであろう。また、薬罐のような化物が転がり出た、とのうわさから、薬罐坂と呼んだ。夜寒坂のおこりは、この地が「夜さむの里道」と、風雅な呼び方もされていたことによる。
この坂を挟んで、東西に大町桂月(1869~1925、評論家、随筆家)と、窪田空穂(1877~1967、歌人、国文学者)が住んでいた。
この道を行きつつみやる谷こえて
蒼くけぶる護国寺の屋根 (窪田空穂)
不忍通りから文京区立目白台交流館の方向へ上る坂です。緩やかな勾配の坂です。(5%:6m/130m)やかん坂のやかんとは、野カンとも射干とも書く。犬や狐のことをいう。野犬や狐の出るような淋しい坂道であったのであろう。また、薬罐のような化物が転がり出た、とのうわさから、薬罐坂と呼んだ。夜寒坂のおこりは、この地が「夜さむの里道」と、風雅な呼び方もされていたことによる。
この坂を挟んで、東西に大町桂月(1869~1925、評論家、随筆家)と、窪田空穂(1877~1967、歌人、国文学者)が住んでいた。
この道を行きつつみやる谷こえて
蒼くけぶる護国寺の屋根 (窪田空穂)
《撮影日:2008年11月2日》
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