スキップしてメイン コンテンツに移動

清水(しみず)坂【湯島2丁目】 



場所:東京都文京区湯島2丁目

【標識(文京区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:人名(清水家)] 
江戸時代、このあたりに、名僧で名高い大超和尚の開いた霊山寺があった。明暦3年(1657)江戸の町の大半を焼きつくす大火がおこり、この名刹も焼失し、浅草へ移転した。
 この霊山寺の敷地は、妻恋坂からかんだ神社(神田明神)にかかる広大なものであった。嘉永6年(1853)の「江戸切絵図」を見ると、その敷地跡のうち、西の一角に島田弾正という旗本屋敷がある。明治になってその敷地は清水精機会社の所有となった。
 大正時代に入って、湯島天満宮とお茶の水の間の往き来が不便であったため、清水精機会社が一部土地を町に提供し、坂道を整備した。
 そこで、町の人が、清水家の徳をたたえて、「清水坂」と名づけ、坂下に清水坂の石柱を建てた。
妻恋坂の坂上から蔵前橋通りへ下る坂です。坂下は新妻恋坂の坂上にもなっています。いわば妻恋坂新妻恋坂の坂上同士を繋ぐ坂になっていると言えます。勾配は少しきつい坂です。(6%:4m/71m)

《撮影日:2008年7月2日》
《撮影日:2011年1月4日》

コメント

このブログの人気の投稿

不動(ふどう)坂【六本木3丁目】

場所:東京都港区六本木3丁目 【標識なし】 [由来分類:施設(神社仏閣:五大山不動院)]   五大山不動院の北側を東西に走る坂です 。 西の六本木墓苑側を坂下として東に上る坂です。 少しきつい勾配のある坂です。( 7% :7m/99m) この坂の北側に 丹波谷坂 が並行に走っています。 《撮影日:2009年4月19日》

樹木谷(じゅもくだに)坂[地獄谷坂]

場所:東京都文京区湯島1丁目 【標識(文京区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:植物]   地獄谷坂 とも呼ばれている。この坂は、東京医科歯科大学の北側の裏門から、本郷通りを越えて、湯島1丁目7番の東横の路を北へ、 新妻恋坂 まで下る坂である、そして、 新妻恋坂 をはさんで 、 横見坂 に対している。  「御府内備考」には、「樹木谷3丁目の横小路をいふ」とある。尭恵法印の「北国紀行」のなかに「文明19年(1487)正月の末、武蔵野の東の界・・・ならびに湯島といふ所あり。古松遥かにめぐりて、しめの内に武蔵野々遠望かけたるに、寒村の道すがら野梅盛に薫ず」とある。天神ゆかりの梅の花が咲く湯島神社の周辺のようすである。  徳川家康が江戸入府した当時は、この坂下一帯の谷は、樹木が繁茂していた。その樹木谷に通ずる坂ということで、樹木谷の名が生まれた。   地獄谷坂 と呼ばれたのは、その音の訛りである。  なお、湯島1丁目の地に、明治14年(1881)渡辺辰五郎(千葉県長南町出身)が近代的女子技術教育の理想をめざし、和洋裁縫伝習所を創設した。その後、伝習所は現東京家政大学へ発展した。 中山道から蔵前橋通りへ下る坂です。 少しきつい勾配のある坂です。( 6% :4m/67m) 《撮影日:2008年10月12日》 《撮影日:2011年1月4日》

無名坂(靖国通り横の坂)【富久町】

場所:東京都新宿区富久町 白鳥山善慶寺横の坂です。 坂上の折れ曲がるところが、東洋美術学校です。 結構きつい勾配のある坂です。( 10% :6m/59m) 《撮影日:2008年11月29日》