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旧仙台(きゅうせんだい)坂[くらやみ坂]





坂の標識(金属製立柱方式)


場所:東京都品川区南品川3丁目

【標識(品川区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:よその地名(仙台藩)]  
江戸時代(1603~1867)に、この坂の中程から上にかけて仙台藩伊達陸奥守の下屋敷があったことから、東大井4丁目と南品川5丁目の間のこの坂は仙台坂と呼ばれていました。
 しかし、現在は青物横丁に抜ける坂道が拡幅され交通量が増加したために、その坂の方を一般的には仙台坂と呼ぶようになり、こちらは旧仙台坂と言われるようになりました。

海晏寺の南側を第一京浜の南品川三丁目交差点を坂下として、西に上る坂です。勾配は少しきつい坂です。(6%:12m/190m)

《撮影日:2009年5月31日》
《撮影日:2010年8月1日》



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