スキップしてメイン コンテンツに移動

相生(あいおい)坂[雉子の宮坂]【東五反田1丁目】

場所:東京都品川区東五反田1丁目

【標識(品川区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:形状・地形]
相生坂の名称は, 古く江戸時代から呼ばれていた。その由来は、御殿山方面から宝塔寺(東五反田1丁目)前を通る道と, この坂のある中原街道が、雉子神社(東五反田1丁目)の手前で合流していたことにもとずくとされる。  昔は急坂で険しいものであったが, だんだんと道路整備がされて現在のようになった。別名を 雉子の宮坂 とも言う。
都営浅草線五反田駅のA6,A7出口側を坂下として、桜田通り(国道1号線)を北東に上る坂です。道幅の大きな緩やかな坂です。(4%:19m/540m) 

《撮影日:2009年3月20日》


<寄り道で見つけた>👀📸




(雉子神社HPより引用)
御祭神
日本武尊(やまとたけるのみこと)  天手力雄命(あめのたちからおのみこと) 

大山祗命(おおやまつみのみこと)

御由緒
御社号は古くは荏原宮と云い、文明年中には大鳥明神、山神の社とも称す。慶長年間に徳川三代将軍家光公がこの地に鷹狩りに来られた時、一羽の白雉がこの社地に飛び入ったのを追って社前に詣でられ、まことに奇瑞であると、「以後雉子宮と称すべし」とのお言葉があってから、神威愈々赫々として江戸社寺名所にその名を連ねた。 雉子神社摂社:誕生八幡神社 兼務社:袖ヶ崎神社

コメント

このブログの人気の投稿

不動(ふどう)坂【六本木3丁目】

場所:東京都港区六本木3丁目 【標識なし】 [由来分類:施設(神社仏閣:五大山不動院)]   五大山不動院の北側を東西に走る坂です 。 西の六本木墓苑側を坂下として東に上る坂です。 少しきつい勾配のある坂です。( 7% :7m/99m) この坂の北側に 丹波谷坂 が並行に走っています。 《撮影日:2009年4月19日》

樹木谷(じゅもくだに)坂[地獄谷坂]

場所:東京都文京区湯島1丁目 【標識(文京区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:植物]   地獄谷坂 とも呼ばれている。この坂は、東京医科歯科大学の北側の裏門から、本郷通りを越えて、湯島1丁目7番の東横の路を北へ、 新妻恋坂 まで下る坂である、そして、 新妻恋坂 をはさんで 、 横見坂 に対している。  「御府内備考」には、「樹木谷3丁目の横小路をいふ」とある。尭恵法印の「北国紀行」のなかに「文明19年(1487)正月の末、武蔵野の東の界・・・ならびに湯島といふ所あり。古松遥かにめぐりて、しめの内に武蔵野々遠望かけたるに、寒村の道すがら野梅盛に薫ず」とある。天神ゆかりの梅の花が咲く湯島神社の周辺のようすである。  徳川家康が江戸入府した当時は、この坂下一帯の谷は、樹木が繁茂していた。その樹木谷に通ずる坂ということで、樹木谷の名が生まれた。   地獄谷坂 と呼ばれたのは、その音の訛りである。  なお、湯島1丁目の地に、明治14年(1881)渡辺辰五郎(千葉県長南町出身)が近代的女子技術教育の理想をめざし、和洋裁縫伝習所を創設した。その後、伝習所は現東京家政大学へ発展した。 中山道から蔵前橋通りへ下る坂です。 少しきつい勾配のある坂です。( 6% :4m/67m) 《撮影日:2008年10月12日》 《撮影日:2011年1月4日》

無名坂(靖国通り横の坂)【富久町】

場所:東京都新宿区富久町 白鳥山善慶寺横の坂です。 坂上の折れ曲がるところが、東洋美術学校です。 結構きつい勾配のある坂です。( 10% :6m/59m) 《撮影日:2008年11月29日》