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目黒区の坂 雑感

目黒区の地形



 目黒区は、東京23区の南西部に位置し北は渋谷、東は品川、西は世田谷、南は大田の各区に接しています。
 目黒区は、武蔵野台地の東南部に位置し、区内は目黒川と呑川の谷が北西から南東に向かい、20から30メートルの深さのとい状の谷をつくっています。また、これらの谷の支谷が、浅くあるいは深く台地を刻み込み、起伏の多い、坂の多い町をつくっています。目黒区の地形は、このように台地の部分と谷の部分から成り立っています。

 目黒区HPでは、目黒の坂として「北部地区」松見坂、大坂、目切坂、小川坂、「東部地区」別所坂、けこぼ坂、茶屋坂、新茶屋坂、なべころ坂、ばくろ(馬喰)坂、権之助坂、行人坂、十七が坂、金毘羅坂、石古坂、三折坂、「中央地区」謡坂、「西部地区」柿の木坂、鉄飛坂、蜀江坂、しどめ坂、谷畑坂、寺郷の坂 として掲載されています。

目黒川に向かって下る坂



目黒川の東側から流れ込む坂としては、相ノ坂(11%)上村坂(10%)目切坂(7%)行人坂(10%)などの比較的急な坂があります。


写真左から、相ノ坂、上村坂、目切坂、行人坂

目黒川の西側から流れ込む坂としては、小川坂(4%)けこぼ坂(4%)なべころ坂(7%)馬喰坂(7%)金毘羅坂(3%)などがあります。東側から流れ込む坂よりも緩やかな坂が多いことから、全体的に目黒川東側の方が高い台地(丘陵地)であることが想定されます。

写真左から、小川坂、けこぼ坂、なべころ坂、馬喰坂 
         




呑川沿いの坂




呑川本流緑道に南側から流れ込む坂として、太鼓坂(9%)しどめ坂(3%)氷川坂(3%)などがあります。





          写真左から、太鼓坂、しどめ坂、氷川坂

呑川緑道に流れ込む坂として、蜀江坂(6%)兵庫坂(6%)寺郷の坂(4%)鉄飛坂(8%)などがあります。

         写真左から、蜀江坂、兵庫坂、寺郷の坂、鉄飛坂

《参考にさせて頂いた文献(団体名等)》
国土地理院
ジオテック株式会社
目黒区

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