【標識(渋谷区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:人名(大和田太郎道玄) or 所在施設(道玄庵)]
江戸時代の道玄坂は、大山街道の一部として多くの人が往来していました。当時の道玄坂は、現在の道玄坂から世田谷街道に入って松見坂までも広く呼んだものでした。
江戸中期頃より道玄坂とは専らこの坂を指すようになったのです。
渋谷の駅前から南西方向の南平台まで走る坂です。仕事の関係で行っていた場所なのでその時の風景は今でも残っております。渋谷も再開発が進み坂自体は残っても景色は一変しているのでしょう。緩やかな勾配が続く坂です。(3%:18m/600m)
《撮影日:2009年1月18日》
《撮影日:2010年1月3日》
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