場所:東京都渋谷区東2丁目
【標識(渋谷区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:人名(服部南郭)]
【標識(渋谷区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:人名(服部南郭)]
(服部南郭別邸跡説明板より)
南郭は、天和三年(一六八三)に京都に生まれ、十六歳の時に和歌と絵画をもって江戸の柳沢吉保に仕え、また、荻生徂徠の門人となって、古文辞学と詩を学びました。三十四歳の時、柳沢家を辞し、ここの別邸で塾を開いて在野の人となり、もっぱら漢詩文に親しみ、後継者の育成に努めました。宝暦九年(一七五九)没。享年七十七歳。
著書に「南郭文集」「大東世語」「南郭先生燈下書」などがあります。
服部南郭は、江戸中期の儒学者。漢詩人で幼名を勘助、のち元喬といい字を子遷、書斎を芙キョ(※)舘と称しました。
この場所は、南郭の別邸があったところで、邸前にある坂道は、昔から南郭坂あるいは
富士見坂と呼ばれてきました。この場所は、南郭の別邸があったところで、邸前にある坂道は、昔から南郭坂あるいは
南郭は、天和三年(一六八三)に京都に生まれ、十六歳の時に和歌と絵画をもって江戸の柳沢吉保に仕え、また、荻生徂徠の門人となって、古文辞学と詩を学びました。三十四歳の時、柳沢家を辞し、ここの別邸で塾を開いて在野の人となり、もっぱら漢詩文に親しみ、後継者の育成に努めました。宝暦九年(一七五九)没。享年七十七歳。
著書に「南郭文集」「大東世語」「南郭先生燈下書」などがあります。
この坂は明治通り東3丁目交差点付近を坂下にして東へ上る坂です。坂上は山種美術館前交差点にあたります。山種美術館といえば、1966年中央区日本橋兜町に開館し、1998年千代田区三番町に仮移転し2009年渋谷区広尾に新規開館した美術館です。三番町時代の仮移転は千代田区の坂無名坂(三番町の坂Ⅰ)にも掲載しております。緩やかな勾配の長い坂です。(4%:14m/400m
《撮影日:2009年1月18日》
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