場所:東京都豊島区駒込3丁目・6丁目
【標識(石板:壁埋め込み式)】 [由来分類:旧地名]
【標識(石板:壁埋め込み式)】 [由来分類:旧地名]
坂の途中にある染井西福寺の塀に「染井坂」と彫られた石板が埋め込まれています。染井は駒込の旧地名「染井」に因むのだそうです。少しきつい勾配があります。(7%:8m/120m)Google mapでは染井坂通りの表記が駒込6丁目36番地と30番地まで続いておりますが、はっきりと染井坂の坂下がどこなのかはっきりしませんでした。
《撮影日:2008年11月2日》
<坂の途中で>👀📸
(参考)以下はソメイヨシノの説明となります。
江戸時代末期から明治初期に、染井村(現在の東京都豊島区駒込・巣鴨付近)に集落を作っていた造園師や植木職人達によって育成された。
初め、サクラの名所として古来名高く、西行法師の和歌にも度々詠まれた大和の吉野山(奈良県山岳部)にちなんで、「吉野」「吉野桜」として売られ、広まったが、藤野寄命による上野公園のサクラの調査によって、ヤマザクラとは異なる種のサクラであることが分かり(1900年)、この名称では吉野山に多いヤマザクラと混同される恐れがあった。このため、『日本園芸雑誌』において染井村の名を取り「染井吉野」と命名したという。翌年(1901年)、松村任三が学名「Prunus × yedoensis」(読み方はプルヌス・エドエンシス)と付けた。(Wikipediaより引用)
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