場所:東京都北区赤羽西1丁目
【標識なし】 [由来分類:不明]
北区HP(北区飛鳥山博物館)では、この坂を
岩槻街道から赤羽台地へ登る坂で、昔は農道で坂の途中に清水が湧いていた。今は土地の人々の協力により切通しの道幅の広い坂となっている。
と記載しています。このことから元は古い坂であるとは思いますが、何故「中坂」という名前になったのかは書いてありません。唯一”切通しの道幅の・・・”とあるので、新しく拡幅した時に「新坂」「切通しの坂」などと呼称されなかったのでしょうか、それも不明です。わざわざ「中坂」と呼んでいるのですが、通常呼ばれる中坂なら、坂と坂の間の坂、もしくは何かを隔てる坂というになるのでしょう。例えば千代田区だと九段坂と冬青木坂の間の坂を中坂と称したり、別の中坂は町屋と武家屋敷を隔てる真ん中の坂を呼んだりしています。この坂は・・・、わかりませんでした。旧岩月街道を坂下にして南西方向に上る坂です。坂上は三日月坂の坂上と同じです。少しきつい勾配の坂です。(7%:12m/170m)
《撮影日:2008年8月15日》
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