場所:東京都北区赤羽台1丁目
【標識(北区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:施設(神社仏閣:亀ヶ池弁財天)]
亀ヶ池弁財天の西から南に赤羽台団地へ登る坂で、昭和34年(1959)から始まった赤羽台団地の造成にともなってできた新坂です。かつては、亀ヶ池弁財天から東北に登る坂があり、これを池の坂といいましたが、団地造成の時になくなりました。坂名は、この池の坂と亀ヶ池弁財天にちなんでつけられました。亀ヶ池は大正元年(1912)11月にほとんどが埋め立てられ、現在はわずかに亀ヶ池弁財天にその名残をとどめています。
北区HP(北区飛鳥山博物館)によりますと
亀ヶ池弁財天の西から南に赤羽台団地へ登る坂で、昭和34年(1959)から始まった赤羽台団地の造成にともなってできた新坂です。
坂名は、この池の坂と亀ヶ池弁財天にちなんでつけられました。亀ヶ池は大正元年(1912)11月にほとんどが埋立てられ、現在はわずかに亀ヶ池弁財天にその名残りをとどめています。
かつては、亀ヶ池弁財天から東北に登る坂があり、これを池の坂といいましたが、団地造成の時になくなりました。
とあります。
亀ヶ池弁財天の西から南に赤羽台団地へ登る坂で、昭和34年(1959)から始まった赤羽台団地の造成にともなってできた新坂です。
坂名は、この池の坂と亀ヶ池弁財天にちなんでつけられました。亀ヶ池は大正元年(1912)11月にほとんどが埋立てられ、現在はわずかに亀ヶ池弁財天にその名残りをとどめています。
かつては、亀ヶ池弁財天から東北に登る坂があり、これを池の坂といいましたが、団地造成の時になくなりました。
とあります。
左右に手摺で分離された滑り止めの施された坂です。自転車で通る時にはブレーキを握りながら押して通った記憶があります。結構きつい勾配のある坂です。(13%:10m/80m)
《撮影日:2008年8月15日》
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