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江戸(えど)坂

 


場所:東京都北区田端6丁目

【標識(北区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:  ]
 田端の台地から下谷浅草方面へ出る坂道で、坂名もそれに由来するもののようです。この坂の近くに、詩人の室生犀星、俳人の瀧井孝作、画家の池田輝方、池田蕉園夫妻、画家の岩田専太郎、詩人の福士幸次郎が住んでいました。坂上の左手に露月亭という茶屋があり、陶芸家である板谷波山が35歳の頃、そこで、飛鳥山焼と銘を入れた徳利と猪口を売ったことがあったということです。
田端6丁目1番地を取り囲むように北西に上がって南西に上るという直角の坂です。少しきつい勾配のある坂です。(6%:11m/180m)坂名の由来は江戸(下谷浅草方面)に行く坂だとありますが、この坂周辺の地域も江戸ではなかったのかと思い、あえて不明のままとしました。江戸つまり御府内を示す江戸朱引図では、北側については”荒川・石神井川下流限り”とありますので、現在の北区でも御府内とそれ以外とに分けられますが、朱引図で見ても田端はギリギリ御府内つまり江戸の内だったのではないかと・・。

《撮影日:2008年10月9日》

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