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富士見(ふじみ)坂[花見坂][妙隆寺坂]【西日暮里3丁目】

 


場所:東京都荒川区西日暮里3丁目

【標識(荒川区教育委員会設置)の説明】 [由来分類:眺望・景観(富士山)]
  富士見坂  ふじみざか  (あらかわの史跡・文化財)
坂下の北側の墓地は 日蓮宗妙隆寺(修性院に合併)の跡。妙隆寺が花見寺と呼ばれたことから, この坂も通称「花見坂」, または「妙隆寺坂」と称された。
都内各地に残る「富士見」を冠する地名のなかで, 現在でも富士山を望むことができる坂である。
妙隆寺は昭和初期に身延山関東別院玉川寺として世田谷区瀬田に移転したそうです。
荒川区のHPによると
「この付近は、江戸の頃から観光の名所であり、この富士見坂は、通称「花見坂」または「妙隆寺坂(みょうりゅうじざか)」と呼ばれていました。
この富士見坂からは、天気のよい日には富士山を眺める事ができました。都心にいくつかある富士見坂のうち、地上から富士山の形がよく見える坂であり、平成16年11月に国土交通省関東地方整備局より「関東の富士見百景」に選定されました。しかし、平成25年6月頃に建物によりその姿は見えなくなりました。 」

私が東京を離れた後に見えなくなったということで本当に残念です。諏訪台通りを坂上として西に下る坂で、少しきつい勾配があります。(9%:12m/130m)

《撮影日:2008年9月5日》


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